思考実験です。
飛行機事故で、2人だけが奇跡的に生き残り、無人島に漂着する。2人のうちひとりはあなたで、もうひとりは理想のパートナーになる人。とりあえず芸能人がいいのではないか……というわけで、想像してみてほしい。
誰と恋に落ちたいか?
そんな大それたことは考えたこともないし、そんなことを考えるのは浅ましい、と謙虚な人は思うかもしれない。だが、2人しかいない世界なのだ。協力して食べ物を探し、小屋を建て、寝食をともにして何日も何か月も暮らしている。さらに、よくあるSF映画的なアポカリプスの設定で、人類はほとんど死滅し、文明らしきものも外界に残っていない。誰も助けに来ない。
…そうなると、お互いに思うところが自然と出てくる。恋に落ちることも、それほど誇大妄想とは言えなくなってくるのではないだろうか。
まあ、そんな舞台装置を用意したこと自体が、すでに誇大妄想なのだが…。
そして、実際に恋に落ちたとする。
ある日、とても困ったことに気づく。
この素晴らしい出来事を、いったい誰に話せばいいのだろう?
自分と相手以外に話せる人が誰もいない。
「理想の相手と出会って、今が最高に幸せだ」と話しても、それを聞いてくれる第三者がいない。自分の胸の内だけに秘めて、それでも現在が最高だと言い切れる自信があるなら、それはそれで結構なことだ。むしろ、それなら普段から誇大妄想に励んでいてもいい。
ところが私たちは、そうはしない。なぜなら、他人の目を気にしているからか、遠慮する。どっかで遠慮しとかないと、脳みそのリソース使いすぎて〇ぬからとか?。
いずれにしても、誰かに見られること、誰かに話すこと、誰かに評価されることによって、自分が何を考えているのかさえ決まってくる。第三者が存在しなければ、自分の考えそのものが成立しないのではないか。
もっと言えば、私たちは最初から思考が分裂しているのではないか。「自分はこう思っている」という自分と、「他人から見たら自分はどう見えるのか」という自分がいる。分裂と言うのは…まあ主語つまり人格のレベルで分裂する。分裂したままだと自己同一性が保てないので、無理やり接合して辻褄を合わせる。くっつけるのが下手な人=分裂気質な人なんだろう。
男が芸能人の写真を大量に集めて、本人と付き合っているような妄想にふけっていたら、ちょっと気持ちが悪いと思われるかもしれない。ところが女が同じことをやれば、「推し活」ということで肯定される遊びになったりする。
この違いも、結局は第三者の目によって決まっている。
では、もし本当に第三者が存在しない世界に行ったらどうなるのか。
誰にも見られず、誰にも評価されず、誰にも話す必要もない。
そこで自分が何を欲しがるのか。
何を幸せだと思うのか。
誰と一緒にいたいと思うのか。
そこまで考えていくと、普段は「そんなことを考えるのはバカらしい」と避けているものが、実は自分にとってかなり重要だったりするのではないか。
逆に、そこまで露骨にベールの向こう側へ踏み込んでしまうと、「あれ、別に大したことではないな」と気づいてしまうこともある。だから私たちは、確信できるところまで考えず、あえて避けて通ることも往々にしてあるのではないか。
とーいうわけで、この思考実験をすると、理想の相手が誰なのかよりも、「誰にも見られない自分はいったい何を望むのか」という、もっと面倒な問題が出てくる気がする。

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