戯言|人生は戦いだと思っていればいい…リターンズ

徒然草2.0

「人生は戦いだと思っていればいい」と言っている人がいた。

そういえば、自分も昔はそう思っていたが、今はそれほど思っていない。戦いなんて物騒な響きである。だから、そう思わないほうがいいだろうなどと思っていたのだが、そう思っている人のほうが相対的に長生きしている気がする。

芸能人でも、そういう少しアクの強い人のほうがしぶといというか、長生きなのではないだろうか。別に「戦いだ」と表立って言っているわけではないが、黒柳徹子とか。芸能界における苦労人というイメージがあるが、ゆえに戦い方を知っている。デヴィ夫人や美輪明宏もそんなイメージだ。明石家さんまやビートたけし、角川春樹なども「戦い」が似合う。

戦いには動機が必要だが、その動機がどうも虚偽的なものに思えてくる。哲学的かどうかなんてお構いなし、という感じなのだ。

そんなわけで「戦う」のはやめようと思ったのだが、そうなると気持ちが外向きからどんどん内向きに変化していく。気がつくと、外に出ようという気持ちまで萎えてきて、生命力を奪われていく。老人になると、そういう傾向が強くなるのではないか。

ぐいぐいと表に出ていこうという気持ちがその人を若くするのであれば、やはり「死ぬまで戦っている」ほうが、生命を維持するうえでは確率論的に生存率を高めるのかもしれない。もちろん、生き急いで命を縮める人もいるので、あくまで最適解を探さなければならないが。

生きることが目的になるなんて……と思ってきたけれど、年を取ると、生きること自体が奇跡になる。そうして、生きることが目的化されていく。若い頃はそれがダサい気がしたし、今でもそう思うところはあるけれど、老人になればなるほど、生存が喫緊の問題になる👼

最近は体幹トレーニングを主に行っているが、これも「今日より一歩、また筋肉をつけられるだけつけておこう」と奮起するには、「戦い」だと思っているほうが自然にちょうどいい具合にトレーニングへと心が向かう。

戦いの中に向上心が生まれる。戦いに振り回される必要はない。ただ、戦いを有効活用することは悪くない。それなら、うまく使ってやるほうがいい。「よし、やるか」と決意をもって挑む。格闘技をもって得た習慣なのかもしれない…あまり気づいていなかったけど、役に立つ思考習慣なのかもしれない。まあでも「戦いに臨む」スイッチの切り替えは格闘技やっていなくてもたぶんできるひとはできるので、意識して習慣化したらどうだろう。

徒然草2.0
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