日記|『国盗り物語』を読んでいる(1)男は悪でなければならならぬ。

徒然草2.0

司馬遼太郎『国盗り物語』を読んでいる。100ページほど読んだが面白い。斎藤道三なんて毒蝮と呼ばれていたとか信長の野望をやっていてもわざわざイベントが起きるが…毒蝮と過去の文献に描いてあるわけではなく司馬遼太郎や坂口安吾がそう描いたために呼ばれるようになったらしい。

信長の野望におけるというか信長視点だと斎藤道三は信長の奥さんである帰蝶(濃姫)を嫁に出した後に息子の斎藤義龍に裏切られて失脚するだけのモブキャラ扱いに等しい男だが、まあ読んでみると悪漢の出世作はそれだけに躍動感があって惹かれるものがありカッコいい。どうも龍馬伝なぞは善良成分が多くてにおう。斎藤道三は100%悪なので安心して見ていられる。

まずは油売りの奈良屋を乗っ取るだけなのに、やたら時間がかかる。奈良屋の御寮人であるお万阿(おまあ)と恋仲になり富を得るまでも、なかなか先に進まず焦れったいが、そこがまたいい。松波庄九郎の軍略とやららしいが、有馬温泉でお万阿(おまあ)は庄九郎に狐と言われ、狐を演じるやり取りに合わせる様がなんとも滑稽で微笑ましくなってくる。

「お万阿もはそのあくがきらいではない。むしろそのあくに魅(ひ)かれている。ということは自分でもはっきりわかる。(あのあくは謎だ)とお万阿はおもう。ひょっとすると驚天動地のことを仕出かす根源が、いまおだやかにあくとなって沈殿しているのではあるまいか。だから、(怖い)とおもい、それだけに、強さに近づきたいような、そういう思いがある。」

庄九郎の灰汁の強い性格は法華経が作り出したという描写も面白い。そういえば司馬遼太郎が法華経の本質を描き出すのが旨いみたいな話を聞いたことがあるが、不思議なものでこれを読むとまた法華経を一心不乱に学んで自分の体になじませてみようと思ったりもする。どこか斎藤道三/松波庄九郎と法華経の法力を得たいを思えてくるくらい読者もお万阿と同様に胡散臭いと思いつつも少しずつ惹かれていく。

徒然草2.0
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