映画|死霊のえじき(Day of the Dead)を見た感想…ミゲルは何をしたかった?

徒然草2.0

ジョージ・A・ロメロのゾンビ三部作の完結編。高校生くらいの頃、たしかテレビ東京の昼の映画で偶然観て、ひどく感動した作品の一つ。それからしばらくして、DVDを買おうかとも思ったが……まあ、買わなくてよかったな(汗)。

この映画はゾンビ映画というより、人間同士の不毛な対立を徹底的に描いた作品で、ローガン博士が訓練しているゾンビ・バブのほうが、むしろ知性を持ち純朴な存在にすら見えてくる。

「あれ、ゾンビってもしかしてかわいい?」とさえ思わせるところが画期的だった。人間の対立だけならゾンビ三部作の一作品目で完成しているが、ソンビに知性を持たせ、ゾンビの視点から人間のすべてを皮肉にも描ききってしまった。

人間たちの争いは、ホッブズのいう「万人の万人に対する闘争」をそのまま映像化したようだ。その一方で、ゾンビはルソーのいう「自然人」のような存在にも見えてくる。ま、それは言い過ぎだが。それでも、知性を獲得したバブが『猿の惑星』のシーザーのように人類を征服する未来を想像すると、ダーウィンの進化論どころではない…別の進化の物語としても見えてくる。

ローガン博士が殺されたあと、バブは明らかに「悲しみ」を抱いている。そして博士の仇を討つ。これ自体はフランケンシュタインのオマージュなのだが、これを初期作品として見たのもので、この映画への思い入れが個人的には強くなった。バブの人間への憎しみと、博士への愛情。その二つの感情が、バブに知性を芽生えさせたのかもしれない。昔テレビで観たときは「ボブ」と呼ばれていた記憶があるが、博士の父親の愛称でもある「バブ」のほうが、「赤子」を思わせる響きもあり、このキャラクターにはよく似合っている。

Amazonプライム・ビデオでは、音声と字幕で翻訳が異なるため、それぞれ違ったニュアンスを楽しめる。細かな言い回しの違いだけでも、登場人物の性格や印象が意外と変わって見えるのが興味深い。ひとつひとつ更にキャラの正確や監督が伝えたかったことまで踏み込むとまだ何度でもこの映画は楽しめそうなところがいくつもある。

ちなみに、この感想を書いている時点で、一作目『リビング・オブ・ザ・デッド』の内容は覚えているものの、二作目『ドーン・オブ・ザ・デッド』は観た記憶こそあるが、肝心の内容をほとんど覚えていない。見返せば、この三作目への評価も変わるかもしれない。ただ、記憶が曖昧な今だからこその感想を残しておくのも、それはそれで面白いと思う。

ローズ大尉をはじめとする軍人たちは、分かりやすく嫌な人物として描かれている。しかし一方で、彼らは極限状況の中でも軍人としての役割を果たそうとしており、研究者たちとの対立にも一定の理屈がある。当時は「フランケンシュタイン野郎」と呼ばれるローガン博士の側に立って観ていたが、今回は別の人物が妙に気になった。

それがサラ博士の恋人、ミゲルである。

映画冒頭から精神的に追い詰められ、頼りない男として描かれる。実験用ゾンビを捕獲する際には、首輪の故障もあったとはいえ、彼の判断ミスで軍人が死亡し、自身も左腕を噛まれて切断することになる。ところが終盤になると一転する。軍人たちへの憎しみを爆発させ、自ら地上へ向かうエレベーターを動かし、ヘリポートのフェンスを破壊。自分自身を餌にして大量のゾンビを呼び込み、軍人たちを道連れにする壮絶な報復に出る。

「そんな覚悟があるなら、最初からゾンビに怯えなくてもいいだろう」と思わずツッコミたくなる(汗)。ただ、もし彼が最後まで正気だったのだとすれば、それだけ人間への恨みが恐怖を上回ったということなのだろう。映画の膠着状態を動かすトリガーでしかないが、ゾンビへの恐怖より人間への憎悪のほうが強くなった。その結果として、地下基地そのものが壊滅へ向かってしまう。という意味では彼のとった行動は分からなくもない。偶然ではなくそうなるのは必然だったとしかいいようがない。

物語は、サラ、ジョン、ビルの三人が安全そうな島へ逃れ、一応のハッピーエンドを迎える。しかし、一作目『リビング・オブ・ザ・デッド』を思い返すと、それが本当に「正しい選択」だったのかは分からない。人間こそが争いを繰り返す存在なのだとすれば、島での平穏も永遠ではないのかもしれない。それもまた、偶然ではなく必然だと思うと胸が痛い。

ゾンビ映画として観ても十分面白いが、人間とは何か、文明とは何かを皮肉たっぷりに問いかける作品として見ると、40年以上前の映画とは思えないほど示唆に富んでいる。

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました