戯言|中年男性がガールズバー店員とかに入れ込むのは孤独だけで説明できないのではないか?

徒然草2.0

中年男性がガールズバーの店員などに入れ込むのは危なっかしいが、それを言ったら、同じように中年女性が「推し活」をするのとなにが違うのか、という話になるのではないか。

こういう男女対比で考えるのは、物事を相対化するという意味ではフェアな考え方のひとつだと思う。だが、それはさておき。

40~50歳くらいの独身中年男性が、ガールズバーやキャバクラ、ライバーなどに入れ込んでお金をつぎ込むのって、単純に「恋愛したい」というだけではなく、自分が生物として生きているあいだに何かを成し遂げたい、という気持ちが高まる時期だから、という面もあるのではないかと思う。

こういう現象について、心理学や社会学、あるいは昔からの格言などで語られているものはあるのだろうか。

エリクソンは中年期(40~60代)の心理的課題を、「生成継承性(generativity)」と「停滞(stagnation)」として捉えた。生成継承性というのは、自分が生きているあいだに何かを生み出し、それを次の世代や社会に残したいという欲求のことだ。

もちろん、生涯孤独に耐えられないとか、恋愛したいとか、若い人と関わりたいという個人的な条件はあるのだろう。それはそれで、世間一般の感覚からはズレているのかもしれない。

しかし、本来その年齢の人なら誰にでもある欲求が、なんらかの形で満たされていないことが根底にあるのではないだろうか。

自分の存在を未来につなげるものが失われている人が、最後に自分の原始的な欲求に従ったとき、一部の人は「若い女の子」に行き着いてしまう。逆に、ほかに打ち込める趣味や仕事、創作などがあれば、「若い女の子」に興味があったとしても、それだけに執着することはないのかもしれない。

「自分の命は有限で、もう残された時間も多くない。だから最後に、本当の恋がしたい」

そんなことを言う人もいるそうだ。(ある種の脅迫で、言われたほうは怖いかもしれないが…)

そう考えると、誰かに有り金をはたいて、自分がまだ誰かに必要とされる存在なのだと確認する行為として見ることもできる。

もちろん、それを「自分勝手で気持ちが悪い」と、その人個人の問題として片づけることもできる。しかし、その行動の裡に人類普遍の欲求があると思えば、少しは見方が変わるのではないだろうか。

もしそういう人がいたら、

「あなたの状態は、あなただけの問題ではない。人類普遍の、ある年齢になれば誰もが直面しうる問題のひとつなのだ。ただ、あなたの場合は、それがたまたま『若い女の子が好きになる』という形で表れているだけなのかもしれない」

と考えてみることを伝える。

そして、

「自分の命が有限であることや、自分がこの世界に存在していることを確かめる方法は、ほかにもいろいろある」

と視野を広げてあげることが重要なのではないか。

孤独で視野が狭くなっている人に、視野を広げてもらうことが難しいのは百も承知だ。それでも、そうした形で人為的に働きかけることでしか解決できない問題もあるのではないか。

自分の行動を少し離れたところから見て「自分はいま、何を求めてこんなことをしているのか」と考えられるようになるだけでも、何か違ってくるはずだ。

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