透明人間になるのは難しいらしい。
むかし、空想科学読本みたいなもので読んだ気がするけど、そんなことはもう考え出しても無駄なこととして忘れていた。
森博嗣のエッセイを読んでいて、ふとまた考えてみた。
自分の体が液体だろうが気体だろうが、それをそっくり向こう側に送るモノになることは難しい。
透明であるというのは、あくまで相手の視点に立って、その向こう側が自然に透けて見えなければならないからだ。
あらゆる方向から飛んでくる光を、揺らぐことなくそのまま後ろへ通す。
⋯言葉にすると単純だけど、それを実現するとなると途方もない話になる。
背景を映し出す光学迷彩とか、見えにくくするメタマテリアルで透明なマントを作り出すみたいな方法も話題にはなるけれど、しかし完全な透明人間となると、科学で実現できそうなことの中でも群を抜いて難しい部類に入るのは想像に難くない。
仮に透明になれたとしても、それで万事うまくいくわけでもない。
赤外線センサーでも、二酸化炭素でも、振動でも、重さでも、風の流れでもいい。人の気配を捉える方法はいくらでもある。
そもそも人間の体そのものが、物理的にも化学的にも、やたらと痕跡を残す存在だ。
ミステリーでは「痕跡を消す」なんて簡単そうに見えるけれど、現実の人間が透明になるというのは、よくよく考えるとほとんど不可能に近いくらい厄介な話だ。
そう考えると、自分が死んで透明になる、みたいなことをあまり想像しないのも、なんとなく分かる気がする。
考えても手応えがないし、うまく像を結ばない。そもそも像がない。
存在していない状態を思い描くことは、透明人間になることと同じくらい、難しい。
自分が死んだ世界のことを永遠と考えていられる人がいたら、その人の概念上は透明人間を達成していることになるのかもしれないが、やはりそういう人間はいないと思う。聞いたことがない。たとえ気が触れても、その人は自分が生きている世界を妄想しているはずであるし、自分が認知ができなくなったら生命ではあるかもしれないが透明人間というよりももはや人ではない。

コメント