昔から存在するが、主流にはなりきれていない「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」に興味がある。
最近、アメリカの“世界警察”体制やリベラルな秩序そのものが揺らぎ始めているため、この種の思想はネット上の奇論では済まなくなっているらしい。ということで、さらっと暗黒啓蒙について整理してみたい。
暗黒啓蒙とは、近代以降の「人権」「平等」「民主主義」といった価値観を根本から疑う思想だ。なので近代をまるっと否定した反動主義である。
人間は本質的に平等ではないし、民主主義はしばしば衆愚政治へ向かい、むしろ社会を不安定化させる。平等主義は能力差や階層構造を否認し、結果として国家や社会を劣化させる。
したがって、理想化された民主主義よりも、技術官僚制や企業統治、あるいは君主制に近い、より露骨な階層型統治のほうが合理的だ⋯という方向へ向かう思想でもあるらしい。
私が興味を持っている点は二つある。
一つ目は「現在」の観点だ。
近年ではドナルド・トランプ政権周辺の空気感や、ピータ・ティールのようなテクノリバタリアン系の人物と接点を持つ思想として語られる。もちろん、彼らがそのまま暗黒啓蒙主義者というわけではない。だが、「既存の民主主義への不信」や、「国家より技術エリートや企業ネットワークを重視する感覚」から言って、現実の政治や経済の一部に入り込まれている。
……もっとも、これは既にあちこちで論じられている話でもある。
私としては、むしろ二つ目の問題のほうが気になっている。
⋯つまり、「日本はこれをどう受け止めるのか?」ということだ。
日本は敗戦後、アメリカを中心とする西洋的な政治体制を受け入れてきた。人権、平等主義、人種差別撤廃、民主主義――そうした価値観を、半ば戦後体制として強制的に導入させられてきた。
それらは完全に日本社会に定着しなかった(と私は思っている)。日本の民主主義には、社会の深い部分から自然発生した伝統ではなく「戦後システム」として運用されてきたに過ぎない。ところが、その価値観を世界に広めてきた当のアメリカ自身が、もしそこから降り始めたらどうなるのだろうか。
世界がグローバリズムよりもブロック化へ向かい、アメリカさんから「各国は各国でやれ」という空気になった時(もはやなりはじめている)、日本は何を基準に自国の政治体制を維持するのだろう。
人権や民主主義を“普遍的価値”として保持し続けるのか。それとも、それらを戦後的な輸入システムとして再検討し、日本独自の形へ作り替えていくのか。
そうなると、日本はいずれ選択を迫られることになるだろう。
つまり、戦後民主主義をそのまま維持するのか、それとも意識的に修正し、新しい統治理念を組み立てるのか。
日本は西洋近代を模倣しながら発展してきた国家である以上、アメリカ的秩序の変化から完全に無関係ではいられない。仮に世界が「ポスト・リベラル」な時代へ向かうなら、日本もまた、日本独自のオルタナティブ思想を準備せざるを得なくなる。
もちろん、それは「暗黒啓蒙」という名前の思想をそのまま輸入するという意味ではない。
おそらく、日本的な共同体意識や国家観、あるいは独自の歴史感覚を土台にした、別種の“反リベラル思想”のようなものになるのだろう。
……もっとも、そんなものが本当に必要なのか、あるいは危険なだけなのかは、まだ私にもよくわからない。ただ少なくとも、アメリカ自身がリベラル秩序の保証人であることをやめ始めた時、日本もまた「戦後的価値観」をどこまで維持するのか改めて考えざるを得なくなることの候補ないしは一部代替品にはなるはずなので、今から注視しておくことは無駄ではないはずだ。

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