戯言|受験本はリアルな人生のあれこれが見えて面白い、ということにしておく

徒然草2.0

「中学受験を考えたら読む本」を眺めていた。ノウハウや現状認識を促す情報が並び、選ばれた人たちがキラキラしている。それを見ていると少し胸が痛くなる。

ただ、それは「自分の子どものこと」として見ているわけではない。完全に自分事として見てしまっている。(そういう解釈をしてもらえれば近い。)

世間的には、勉強のできる人への嫉妬だと思われるのかもしれない。でも、自分では少し違う気がしている。とはいえ、私がそう言ったところで、結局は嫉妬や愚痴にしか聞こえないらしいので、リアルではあまりこういう話はしない。

「優秀な子が中学受験をして可能性を広げ、映えある人生を送る」。それと、そうではない人生があるなら、普通に考えれば前者のほうがいいに決まっている。

でも、その栄光の裏側には、人それぞれ程度の差こそあれ、膨大な時間や労力、そして挫折が同時に存在している。

私の気持ちを端的に言えば、「あこがれ」と「くだらない」が同時に存在している、ということになる。

キラキラした人物を見ると、その背後や周囲にあるものまで想像してしまう。「あこがれ」と、それを「くだらない」と言って、とりあえず済ませたくなるような苦悩や懊悩も含めて。

「くだらない」と口にする人の手前には、人生というゲームに本気で向き合い、どこかで諦めた人がいる。勝者から見れば、それは単なる負け惜しみに映るのだろう。だから世間では、私の話も嫉妬や愚痴にしか聞こえない。

その構造までは、さすがに頭の悪い私でも分かる。

でも、私にとって重要なのは、まさにその構造そのものなのである。

人生を映えあるものにすること。そのために受験で勝つこと。そのためには、強い意志を持って、人並み以上に正確に、一歩一歩着実に歩き続けなければならないらしい。

都内では中学受験率は約20%と言われ、文京区や中央区など都心部に近づくほど、その割合はさらに高くなる。

もちろん地方にも優秀な人はいるし、例外はいくらでもある。それでも、優秀で経済力のある人、そのDNAを受け継いだ子どもたちが首都圏へ物理的に集約されていくような構図を見ていると、何とも言えない気持ちになる。

「怖い」というより、「畏れ」に近い。

あるいは、もっとありふれた言葉で言えば、「不思議」なのだ。

なぜ、こんなふうになるのだろう。

そんな不思議がある。

だから私が受験情報を眺めるとき、その奥に見ているのは「あこがれ」と「くだらない」、そしてそのさらに奥にある「くるしみ」と、「おそろしい」というより「不思議」とでも呼ぶしかない感情である。

そういう意味では、受験情報は単なるノウハウではなく、リアルな人々の物語として読んでいるのかもしれない。

……というわけで、あらゆる受験情報は、私にとってエンターテインメント小説なのである。

実は、これが言いたかっただけ。

そういえば、本にも書いてあったが「昔に受験を経験した人ほど考えを改めるべき」みたいなことが書かれていて、当たり前だが昔と今は違うらしい。ふーんと、他人事として聞くより他にないが、なんだか大変だな。

徒然草2.0
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