『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』と『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を見た。
私が見ようと思ったわけではない。子どもが見たがったので一緒に見ただけである。というのも私は、オリジナルの初期作品以外はそこまで好きになれなかったので、今回もどうせ駄作だろうと勝手に決めていた。新しい『猿の惑星』シリーズがあることは知っていたが、わざわざ見るほどでもない。大筋は分かっている話だし、ということで眼中になかった。
しかもCGなのか特殊メイクなのか知らんけど、なんか安っぽく見えた。
ところが、まあ見てみると意外に面白い。
まず『創世記』はかなり無駄がない。アルツハイマー病の治療薬の実験から、チンパンジーのシーザーが高い知性を持つようになり、人間に育てられ、やがて人間社会から離れて猿たちのリーダーになっていく。人類の文明が崩壊していく原因まで含めて、後の『猿の惑星』につながる起源を描いている。想定通りの話ではあるが展開が速く、余計な説明も少ないので見やすい。
猿の表情や手話でのやり取りは、人間同士の芝居ほど細かく読み取れるわけではない。それでもシーザーが何を考えているのかはだいたい分かる。アンディ・サーキスの演技をパフォーマンス・キャプチャーで猿のCGに落とし込んでいるそうだ。こういう技術は以前の着ぐるみ猿とはかなり違うということなのかも。
ただ、猿が窓ガラスを割ったり、ゴリラが動物園の檻を簡単に壊したりするところに、「いや、そんなことできるわけないやろ」と突っ込んではいけない(これはギャグなのだ)。
そもそも人間の文明を二元、三元と積み重ねてきた猿たちが、どうやって短期間でここまで知識を獲得したのかという疑問もある(これはギャグなのだ)。
そして面白かったのが『新世紀』だ。
『創世記』がシーザーの誕生と猿の反乱を描いたのに対して、『新世紀』は人間と猿が共存できるのかという話になる。ウイルスによって人類の大半が死滅し、シーザーたちは森の中に社会を作っている。そこへ生き残った人間たちが電力を求めて猿の領域に入ってくる。
ここで単純に「人間が悪い、だから猿が人間と戦う」という話にしなかったのがよかった。
シーザー自身は人間との共存を望んでいる。一方で、猿のコバは人間に虐待された過去から人間を憎んでいる。人間側にも猿を恐れて攻撃しようとする者がいる。そしてコバがシーザーを裏切り、クーデターを起こしたことで、シーザーは人間との戦いに巻き込まれていく。原作の続きもそういう感じだったかもしれないが、敵が「人間」という一枚岩ではない。猿の側にも穏健派と強硬派がいて、人間側にも共存を望む者と戦おうとする者がいる。監督のマット・リーヴスも、この作品を単純な善悪対立ではなく、人間と猿の双方が生き残ろうとする物語として構想していたと話しているとか。
このあたりは初期の『猿の惑星』とはかなり違うところだと思う。
オリジナルシリーズは、SFの設定を使って人間社会や戦争、核兵器などをかなり直接的に風刺する作品だった。2001年のティム・バートン版はまた別の独立したリメイク。そして2011年からの新シリーズは、シーザーという一匹の猿を中心にして、人間と猿がどうやって対立していったのかを描く。そのため『新世紀』は単純な「猿対人間」の映画だと思って見ると、少し分かりにくく「これは結局、何の話なんだ?」となる。しかし、その複雑さがGOOD。人間がクソだから猿が反乱した、というだけではない。シーザー自身が人間を知っているからこそ共存を望み、逆に人間に傷つけられたコバがそれを許さなかったことにも同情の余地がある。
『創世記』を見た時点では、まあ「こうやって猿の惑星になるんだろうな」という話だった。それが『新世紀』になると、そこへ至るまでの人間と猿、それぞれの事情がかなり丁寧に積み重ねられている。最初は「どうせ駄作だろ」と思っていたのだが、これはちょっと見直した。この流れなら『聖戦記』も見てみたいし、さらにその後の『キングダム』まで、見てもいいと思っている。なお、私以外の人は猿に興味を失ってしまったらしい👼

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