性格の悪い猫が飼いたい。撫でると爪をたて噛みついてくるのに、餌が欲しい時はけたたましく鳴き、人が怒ってもテーブルの上に乗り、人間の夕飯を食べ、脱走を企て、外からふらりと帰ったら蝉と竈馬を室内に持ち込み、全身は蚤だらけ毛だらけで、顔も可愛くなければ最高だ。そんな猫を誇らしげに思っている余裕がある俺カッコいいとか、こんな猫でも生きている価値があると思っている人間がいるとか、そんなことはどうでもいいですが、とにかく猫と格闘したい。あえていえばそんな猫と格闘できる自分を発見し、自分のやる気があるうちに猫パンチで目を醒まして欲しいみたい。そんな理由で猫を飼うな?ごもっともですね。また保護猫コミュニティの人に「虐待だ!」と通報されてしまう。
まあ私の昔の知り合いもやっているのだが、、、いろんな地域のお神輿に行っては酒をがぼがぼ飲んでいる人がいた。それを見て、いつか体を壊すだろうなと思っていたら、案の定、肝臓だか膵臓だかがヤバイらしい。反社じゃないけど反社っぽい風貌なので、あえてそういう人を見かけたら「また一段と反社が進んでますね」と皮肉っぽく褒める。というわけでこういう人を反社と定義する。だいたいそういうひとは、それで喜ぶと思うし。「おまえ反社みたいだな!」って言って本気で怒る人にまだあったことがありません。なのであえて「反社みたいでカッコいい」とか理由分からないことを言っているが、まあ喜ぶならば反社だろう。褒められて喜ばない人はいないともいう。アウトロー精神が男の錦を飾るというか、その風貌からしてやはりカッコいいと思っているんだ。まちがいない。で、そういうお神輿の担ぎ手がみんなそういうスタイルなわけじゃないけれど、そういう人はお金はほぼもらっていないらしい(口でそう言っているだけだと思うが)神社がアウトソースで雇うわけで、そういう意味では雇われているわけではないが縁日の出店で働く人も同様だろう。お祭りのその日だけ来て高い商品をここぞとばかりに売りつけていかれる。別に利益追求主義や物価高の不満をぶつけるわけではないけど、そういう風土つーか文化をなんとか維持するところにお金を払う意味ってあるんだろうか?、神社の維持と反社の維持のために地域住民が奉納するのはいかがなものか。その意思表示で奉納しないという言い分は成り立つかもしれないが、それはそれで屁理屈なのは承知だけどなんだかな。まあ、個人で奉納したことないのだけど。お賽銭多めにいれることもある(予定なので)神様堪忍ね。
ちいかわを読んでいる。モブに顔がないのが徹底していて、キャラのインフレにならないようにしているコントロールしようとするのがすごい工夫だな。


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