自分がこれから大きな買い物をするとしたら、たぶん家なのかなと思っている。
……と思いながら、結局手を出さないまま、だいぶ年をとってしまった。
子どもの頃に育ったのは、木造の一軒家だった。特筆するような特徴はない、普通の家だったと思う。ただ、風が吹くと家全体が吹き飛びそうなくらい揺れるので、我が家では「あばら家」と呼んでいた。
台風や竜巻が来たら本当に飛んでいくんじゃないか、というくらいスカスカの家だった。冬は寒いし、夏は暑い。快適性という意味では、かなりダメな家だったと思う。
別に、そこでの特別にいい思い出があるわけでもない。
でも、今になって考えると、あの家はけっこう好きだった。
庭があって、みかんやぶどうや柿なんかが生えていた。犬も猫もうさぎも飼っていた。家自体がもう古かったので、多少雑に扱っても親からあまり怒られなかった。というか、半分ほったらかしだった。
その「ほったらかし」がよかったのだと思う。
一人になりたければ勝手に一人になれる。家の中をうろうろしてもいい。外に出てもいい。勝手口があるので出入りも楽だった。家の中と外を行ったり来たりする導線がいくつもあるというだけで、子どもにとっては結構面白い。
和室の一部は縁側みたいになっていて、そのまま外へ出られた。
階段も普通の階段ではなく、踊り場のある螺旋階段だった。外から入れる半地下の物置は、なんとなく秘密基地っぽかった。押し入れの奥には屋根裏があって、そこから屋根の下にある通風孔をのぞくと、寒々しい月が見えた。
今考えると、かなりいい家じゃないか。
いや、たぶん思い出補正が激しいだけだ。
そんな家に住んでいたせいか、今でも「家」と聞くと、広くて快適な新築住宅より、ちょっと不便な古い家のほうに惹かれる。
だから、もし次に家を買うことがあるなら、そこそこの田舎で、とりあえず最低100坪くらい庭がある家に住んでみたい。
田舎は人間関係が濃厚だと言うけれど、自分はたぶん平気だと思う。どちらかというと、周りの人間が自分に合わせるのに困るタイプかもしれない。
まあ、合わせなければいけないことは、たぶん合わせられる。
それより家の中で一番ほしいのは、自分の部屋。
……いや、待て。
やっぱりトイレが二つだ。
トイレが一番で、自室が二番かもしれない。
トイレ問題が切実なのである。
お腹が痛いのにトイレを譲ってもらえないという問題は、家族がいれば誰もが一度は経験するものなのだろうか。それとも、我が家のヒエラルキーが弱いだけなのか。
いずれにせよ、家を広くすることで家族間のそういう問題が解決するなら、安いものだと思っている。
広い「あばら家」、いや、古民家と言ったほうが聞こえはいいか。
そのくらいの広さがあれば、だいたいの問題は解決するんじゃないかと思っている。
もちろん、家が広くなったらなったで、別の問題は発生するだろう。
庭の草は伸びるし、雨漏りもするかもしれない。壊れたものを直すのも大変だろう。そもそも100坪なんて、自分で管理できるのか。
でも、それはそれでいい気がする。
「あー、不便だな」と思いながら、他に選択肢がないので、その家でなんとかする。壊れたものをDIYで直したり、変なところに棚を作ったり、庭をいじったり、生活しながら少しずつ家を自分仕様にしていく。
そういうことをやってみたい。
今の生活は、窮屈は窮屈な都会生活で便利すぎるのかもしれない。
何か壊れたら買い直せばいい。暑ければエアコンをつける、寒ければ暖房をつける。必要なものはネットで注文すれば届く。
もちろん便利なのはいい。
いいんだけど、ときどき「自分はいま生きているな」という感覚が薄い。
だから、多少不便な家に住んで、「あー面倒くさい」と言いながら、自分でなんとかしてみたい。
そのほうが、案外「生きている」という感じがするのかもしれない。
……まあ、実際に古民家を買ったら、三日くらいで「エアコンの効くマンションに戻りたい」と言っている可能性もかなり高いが…それも含めて、ちょっと楽しそうな浪費な気がする。


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