戯言|日本経済新聞社の日本の論点や文藝春秋の論点はなぜズレているのか?

徒然草2.0

何十年も前から思っていたことだが…特定分野の専門家が2ページほどの見解を載せていて、それを読んだ読者が日本の論点を押さえられるという類のものだ。論点でググると、日本経済新聞社の日本の論点シリーズと文藝春秋社のXXXX年の論点と大前健一の本が出てくる。大前健一は大前健一入門とかいう本を書いているらしい。変な人だ。ま、それはさておき、文藝春秋「2026年の論点」を読んだが、だいたい内容がズレている。若い時はこれが専門家の見解なのかーと思って納得して読んでいて、あるいみ専門家の権威をリスペクトしてたところもあったのだ、今見ると「この人これだとズレてるよな」というかこの見解をそのまま自分の視点として論点を汲み取ると「ネットでおかしな人」に少なくともなるなという不安しかない。

例えば、「秀吉は秀長を殺さずにいられたか」は論として面白いけど、そんなことよりもっと秀吉の人生にはおさえておかないといけない情報/知識があるはずで、なんかスタンダードな知性からズレている…例えば秀次の死にはふれられてすらいないのなんかおかしくない?。「推し活の病」では高田馬場で路上ライブしていた事件が取り上げられているが、女性の方が限りなく借りパクしていた事実は無視できないはずなのだが、推し活の異常性を語るため言及がない。この2例だけでも情報が偏り過ぎてません?

おそらく「2ページにちょっと人とは変わった視点を入れないといけない」という目的というかポリシーみたいなのがあるようなのだが、それに書き手が従うため結果的に読者にズレた知識を与えるだけになる。この論点だけを押さえて偉そうに語るおじさんになったら終わりだと思う。まあ、自分の知らない分野については、ことごとサマリーだけで済まそうとしたいのが人間だが…そういう目的で使えない知識しか書いていない。

以前にその事に気づいて、確か日本経済新聞社と文藝春秋社の2つを比較したりしていて、なんかお互いが特色を出すためか、最終的な読者の情報をひどく偏ったものにするよな、という結論に至った。今回もそんなふうにふと思ったので、メモってみた次第。

これに加えて現代用語の基礎知識とか、ネットの知識とかもろもろを加味してようやく論点が補完できるかな。自分でそれを補間する横断的な知識のデータベースをつくればいいのかもしれない。などと思ったりもするけどひとりじゃできないし、やるとしたらwikipedia的なナレッジマネジメントシステム&SNSの構築になるけど容易じゃない。(ぼやき)

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