戯言|子どもが産めない、結婚もできない社会

徒然草2.0

私たちは例外なく誰かの子どもである。それが育ての親かもしれないし、生みの親と同じかもしれない。そのことを「奇跡」と呼ぶ人もいれば、「原罪」と呼ぶ人もいる。

とはいえ、「奇跡」でも「原罪」でもいい。そんな概念ラベルを貼り付けたところで、生きている本人は普段からそのことを痛烈に自覚しているわけではない。のんべんだらりと、ただ当たり前に与えられた生の時間を、死亡という期限まで消費しているだけだ。それが生きることに積極的であれ消極的であれ、基本的にはそんなものだろう。

そんなわけで、きょうも一日、とくに何の進展もなかった。むしろ後退した気がする。少なくとも自分はそんな感じで生きている。

それでも人生には、いろいろなイベントがある。いや、あったはずだ。

どこの学校に行ったとか、誰と過ごしたとか、どんなスポーツをしたとか、どこに就職したとか。他にも大きなイベントとして、結婚したとか、子どもが生まれたとか、そういうことが重要なのかもしれない。

考えてみれば、「奇跡」でも「原罪」でもいいが、ごく当たり前に生みの親が経験したイベントを、自分も同じように経験するのだろうと思っていた。しかし、めぐり合わせなのか時代のせいなのか、あるいは別の理由なのか、そのわりと大きなイベントが訪れる人生もあれば、訪れない人生もざらにあることにふと気づく。

前から何となく難しいことは分かっていた。でも、それを口にしたらいけないことのような気がして、黙っている人も多いと思う。

難しいところだが、訪れたからそれについて語っていいわけでもないし、訪れたからそれが是であるとか非であるとかいう話でもない。同様に、訪れなかったから語れるわけでもないし、もっと言えば語れないわけでもない。

ただ、語りづらい。

だから語るなら「自分の場合は」という条件つきで語るほかない。客観的なデータを並べて社会学者風に語ることもできるが、なんだかそれは殺伐としていると私は思う。

イーロン・マスクは「日本人が消える」みたいなことを言っているという人もいるし、「優秀な人間の子孫を残すべきだ」みたいなことを言っているという人もいる。

様々な要因が複雑に絡んでいるので、私たちがそれを個別に指摘しづらい面もある。

イーロン・マスクは彼なりに十四人の子どもをもうけ、独自の教育をしている。それが正しい結果を生むかどうかは分からない。しかし少なくとも、彼はそれが正しいと思って実行している。

多くの人は、たとえ正しいと思っていても、それだけの財力がないので諦める。

私の当たり前は思い込みに過ぎないとされて口を封じられ、限られたリソースの中で幸せならそれでいい、という月並みな価値観を持つことを強いられる。そしてそれを自由だと思い込まされる。それこそが真人間であり、そこからずれれば外れ値で、生きる資格も才能もない。極端な解釈だと思うかもしれないが、究極的にはそういうことなのだろう。考えると怖くなる。

最近、子どもが欲しがったのでハムスターを飼っている。

飼っていると言っても、私は世話をしていない。

狭い囲いの中で、彼は今日も回し車を回している。

彼は自由なのだろうか。不自由なのだろうか。それとも、そんなこと考えもしないのだろうか。

というか、このジャンガリアンハムスターの性別は何だったっけ。彼なのか彼女なのか。とりあえず彼にしておこう。

彼は今日は何を食べたのだろう。それは彼が食べたかったものなのだろうか。ジャンガリアンハムスターはどちらかというと肉食らしい。つまりは虫が好みなのだが、野菜をおやつに与えられている。せめて、乾燥したミルワームを与えたらどうか?と食事の時に家族に提案したら「食事中にやめて」と言われた。

彼は一匹で囲いの中にいる。自分と同じ仲間に出会うこともない。

子どもも産めない。結婚もできない。

そう考えると、ある意味でこれは私たち人類の行き着く先⋯究極の形態なのかもしれない。

せめて彼の世界を少し広くしてやろうと思って、最初の45センチのケースでは狭い気がして、あとから60センチのケースに替えた。その分だけ、少しは動きやすくなったはずだ。

彼に提供できるのは、もとの一・五倍か二倍程度の広さだけ。管理者はそれで十分に満足している。できるだけのことはやった⋯たぶん未来はきっとそうなる。

徒然草2.0
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