貫いた信念は常に自己満足

他人の意見に耳を貸さず信念を貫くという行為は、言ってみれば完全な自己都合で他人に迷惑がかかったり、または信じ続けて出た成果が他人に認められなければ、完全な自己満足である。そういうものはエゴイズムという。だが、それでいい。語るに足らず胸のうちに秘めて自分を称えるもの。ただ、それでもそういうものを持たないと何も前に進めないことがある。

そうと決まれば話は早い。世間の目、他人の声、そんなものは雑音に過ぎない。私はよく「性格が悪い」と自分で思うし実際に言われるからそうなのかもしれない。だが、それでいい。被害妄想や僻みや見栄みたいなのも人一倍ある。僻みはうまく使えば最高の起爆剤である。そして、怒りもまた行動力の根源である。

自己満足の追求の先に個人主義がある。これは西洋的な個人主義と出発点がまったく違うが、さして変わらないというか、もともと日本人的な感覚から抜けきれない者に個人主義という思想はそもそも無理という諦めから来ているもの。あんまりありふれた言い方になるが、日本人的な自己満足の追求とでも言えばいい。

ルールを無視して人を蹴落としてでも前に進めと横暴なことを言いたいわけではない。そういうものは人の目を気にする日本人にとってなかなかやくざ者でなければできないし無理してやるものでもない。ただ日本人としての日本人的なものを守りながら成果を出すためにできる限りの自己満足的自己追求を継続して行うことが大切。

陳腐な言葉だが信念を持つということは自己満足であり、自己満足の追求をするのが自分にとっての自然体である。自然体でいるのが一番いい。自然体のままで自分がよいと思う理想を追求し続ける姿勢があれば十分である。

徒然草2.0
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