『メンタルの教科書』(佐藤優)を読んだ感想。上品な人が生き残る方法。

徒然草2.0

メンタルが強くなるには、義理を欠く、情を欠く、恥を欠く、そんな下品な人間になればいい。そうすれば、あなたも勝ち組…になれる保証はないが実業で成功できるかもしれない。(夏目漱石の「吾輩は猫である」に出てくるお話らしい)

高度自由主義経済の現代における勝ち組は、親の遺産を引き継ぐか、得意な能力があるか、あるいは、図太く図々しいライバルを突き落として愉悦に浸れるような「下品さ」がなくてはならないというようなことを言っているが、仲間だと思っていた人が自分が出奔する原因でしたなんてことは、組織で行動していれば心当たりがある人はいくらでもあると思う。

…そういった「下品」な人に対してしてメンタルが弱い人を「上品」で奥ゆかしい人々と定義した上で勝負の世界から降りた、いわゆる現代における「上品」な弱者のメンタルをどう救うか?を問いた救済の書になっていて佐藤優なりの思想が色濃く現れている。見た目が既にパンダのゴリラモードであるし、外務省のラスプーチンと恐れられた人なのだから、少しマッチョでタフネスなことが書かれているのかと思ったが全然違った。。

メンタルの強さは、後天的なもので鍛えて強くなるものではないので、ある種の戦略をもってストレスを対処しなくてはならないと私も常々思っているが、そのあたりに著者独自の分析や手法を取り入れていてためになった。

ちなみに、メンタルを守る戦略の概略は基本的にこれだけだと思う↓いろいろなストレス回避策はあるが、この部分の分析を誤らないことが大事で、行き過ぎは避けて通らないと二度と戻らぬ深手を負うことがあるんだと思う。

1つは自分自身の内面を強くしていくこと。先ほどお話したように心を硬くするのではなく、しなやかに柔らかくするということ。もう1つは自分を取り巻く環境を変えていくということ。できるかぎりストレスの少ない、快適な環境に変えていくことが大事です。

逆に言うなら、いまもし心が折れそうなことがあった場合、その原因が自分自身の内面的な問題なのか、それとも環境の影響によるものか、あるいはその両方であるなら、それぞれどれくらいの割合なのか、それらを見極めて対処する必要があるということです。

『メンタルの教科書』佐藤優

そういえば、わたしはうつ病だと診断されたことがあるが、それは先天的なもので投薬のために名付けられた病名であってたぶん、世にいううつ病とは違う。だから(後天的に)うつ病になったことがない。おそらく、限界まで行く前にうまい具合に折れるようになっているのか、いずれにしてもそういう意味ではメンタルにある種の耐性があるのかもしれない、なんて思っている。とはいえ全然こんな本を手に取るほどにまったくもってネガティブだが。でもポジティブに言えば俺ってわりとしなやかなんじゃね?知らんけど。…とはいえ、過酷な世界で生き残れるか?という勝ち組になる強さと呼べる何かがある気はしています。

そういったストレスフルな環境にわざわざ出向こうとも思っていないところもあるかも。ほどほどに生き残れるところで生きていこうと考えているかな。自分が勝てる世界に行こうとも思っていないが、ある意味ズルいところはある。それが現代を生き抜く弱者なりの強かさなのかもしれない。と思えば、自分のこれまでの人生が皇帝される気がしないでもない。

いずれにしてもメンタルがやられる要因は外部環境と内部環境の2つに分けられる。その比率がどれぐらいなのかは自己分析する必要がある。外部環境が原因の場合は場所を変えるしかない。内部環境は小手先の解決策になりがちだと思う。その人がもって生まれた耐性。釈迦も場所を変えることの大切さを説いている。

少し話がそれたが、メンタルヘルス対策において、外部環境と内部環境のどちらが深刻であるか不明なまま、アドバイスせざるを得ないことがある。結局どちらのウェイトが大きいのか、分からない限り対処できないので、まず自分なりに外部環境と内部環境のストレス比を明確にしたほうがいい。(アドバイスする前にまずストレス過多の人の言葉に耳を傾けたほうがいいでしょう)こんどストレス相談されたら、「外部環境と内部環境のどっちのウェイトが大きいの?比で表すとどのくらい?」かその人のなりの自己分析を聞いてみることにしよう。結局のところ、主観的な問題だと思う。

いずれにしても、しなやかに生きるには内外問わず頑張りすぎないことが大切だと思います。やっちゃいけないのは、なにかでストレスをごまかすこと。ストレスってストレスを感じないことをすれば一時的に収まりますが、基本的に解消するものではないので、ストレス解消だと思ってやっていることが、新たな依存症になって生活が破滅することもあります。

そういえば、最近知ったのですが、欧米には「自己責任」という言葉がないそうです。新自由主義経済を米国から輸入してきたのに、そのような言葉がないとは変な感じがします。グーグル翻訳だと自己責任を翻訳したら「Self-responsibility」なんて表示された…あるにはあるが、あまり使われない言葉で、また日本人が意味する「責任とResponsibility」はニュアンスが異なるのでしょう。

ちなみにselfを添えた独自な言葉を、より自然な書き方にすると「at your own risk 」になるのだと思われる。riskをresponsibilityにしても同じ意味のようだけど、欧米人と日本人の責任のとり方がそもそも違う気がします。

私なりにググって調べた見解を述べると…riskは危険を犯すこと。responsibilityは説明責任のこと。日本人の場合、責任という言葉の意味は、役職を降りること、もしくは(その)世界から消えること。だいぶ温度差があるのでは。最近の下品な政治家たちは「私に責任がある」と言ってみるだけだったりするが。

メンタルが弱い人は自分で責任を感じすぎているし、日本の社会が責任を押し付けすぎている、のではないか?

…とかとか、そういう観点から分析しているだけで、社会と社会の中の自己を客観的に見られるし、そうすることでストレスを客観視できるようになるという意味でこの『メンタルの教科書』はおすすめです。

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました