いがらしみきおの「ぼのぼの」がアマプラで配信されている。なにかと好きな人がいて、息の長い作品だけど、昔からいまいちこのアニメの魅力がわからない。別に面白くないという気はなく、クスリと笑ってしまうところもある。けれど、このアニメは面白いのだが、なにかこう、居たたまれないものがあるという感じがして、何が面白いのか、はっきりと説明できないところがある。つまり、よくわからないアニメだと思っている。
ぼのぼののキャラは、どこかみんな自分の我を通している。全体的に、我を通すキャラたちの噛み合っていない掛け合いを楽しむところがあるんだと思うが、真面目に考えると「ぼのぼの世界」は「現実にはない」ところがあると思う一方で極めて「現実に近い」ところも当然ある(でなければ、おもしろくない)。この近いようで遠いところがあると私が感じてしまうのはなぜだろうか。現実がぼのぼの世界のようになってほしい、という作者と読者の願望も反映されているのだろうか。
ぼのぼのは、おとぼけ天然キャラだが、ときには何か影響力のある妄想を語ることもある。そんなヤツはなかなかいないだろう。アライグマくんもいじめっ子だが、熱いハートがある。ドラえもんのジャイアンのようなキャラだが、現実なら、いじめっ子という時点で普通はアウトだろう。シマリスちゃんも、かわいらしさといじめっ子キャラという要素が同居している。これも一歩間違えれば、あざとく見えてしまうような気がする。
現実のシビアさもあるけれど、私たちがそれぞれ持っているキャラ性が、どこかでうまく折り合いをつけて、このアニメのようにやっていけるはずだ。そんなヒューマニズムが成立している共同体世界で生きていく人には、この「ぼのぼの世界」が合うのかもしれない。けれど、どこか自分はそういうものに絶望しきっているので、なんだかもう面倒だなというニヒリズムのほうが先に来てしまう。だから、ほのぼのと素直に見ていられないのかもしれない。
どこか現実で抑圧を感じている人が、おそらくこのアニメを楽しめるのではないか?と勝手にきめつけている。そんなことを言ったら、児童向けのアニメは「ぼのぼの」に限らず、どこかで他人との折り合いをつけながら自分らしく生きていくためのフィクションなのだろうし、「ぼのぼの」だって、それに漏れずにそういう作りになっているのだだけに過ぎないが。
それでも、どこか自分には「現実にはないよな」という思いが先行して、心の中に冷めた自分がいる。このアニメを見て冷めているのもおかしな話だけど、変な距離を感じているのが正直なところ。その距離の正体を確かめたい。
「ぼのぼの」の話に詳しいわけではないが、ぼのぼのとアライグマくん、シマリスくんたちがいるのは、あくまで子どもたちの世界であって、それとは別に、子どもたちに絡む大人の世界もあるんだよね。そこまで事細かく見ていくと、自分のこのもやもやも、もしかしたら少しは回収されるのかもしれないと思っている。子どもの世界をおとなになった自分が評価しても眺めてもしょうがない…子どもの世界は大人は理解できないものだろう。
ぼのぼのは、子どもから見た大人の世界もけして理想化されておらず、むしろ「いかれている」ように見える。ちびまる子だってドラえもんだってクレヨンしんちゃんだって、大人世界は「いかれている」けどそれよりもかなりシビアでいかれているように描かれているのではないか。そういうところを上手く描いている作品だからこそ、長く親しまれているのかもしれない。

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