『大阪的』を読んだ感想。

徒然草2.0

大阪人は外国人である。

…と思っている関東人からすると、大阪人の2人(江弘毅、津村記久子のうち正確には津村記久子が語る)が自国・大阪をdisる不思議なノリではじまり、わたしが知らないサッカーのネタによるイントロダクションではじまる『大阪的(コーヒーと一冊)』を読んだ感想の殴り書き。

客観的に大阪人の自分を捉えて分析をしている姿は、本文内に補足もあって誰にでも分かりやすい構成になっており、とても的を射ている気がする。気がするのは大阪について知らない私が真偽は評価できないが分かりやすいと感じたから(この人たちは、よく知らないひとたちだけど、大衆向けの文章を書く小説家と編集者の対談だから、当たり前かもしれない)

誰が読んでも理解できる内容になっていて、読者を選ばないように作られている読み物。でも、この本は一体誰が手にとるんだろうか?などと、どうでもいいことにが気になった。大阪人もしくは少し周辺まで範囲を広げた関西人が読むのだろうか。それとも、関西にかすらない地域に住む人たち、例えば、九州人、関東人、東北人、たちが読むのだろうか。それぞれ、違う感想を持つのではないか。そのあたりの感想を聞いてみたいと思った。

私にとって大阪ははじめに書いた通り得体のしれない化外の地域(おおげさにいっています)だし、そこまで興味があるわけではなかったが、なんとなく図書館で見つけて本が小さく薄ペラかったので今回読んでみようという気になった。修学旅行でしか行ったことがないし、梅田の駅前を歩いて、大阪城へ行って、たこ焼き食べて、花月に行ったくらいの記憶しかない。なんだか色々な物を見せられたが、トミーズ雅ぐらいしか知らんし。

『大阪的』これくらい薄ければパラパラめくるだけで内容が入ってきそう。本はこれくらいの厚さがいいね。これ以上厚い大阪的なものに外部者が耐えられるわけもないし。

さて、

「大阪が分からない」ときどき思うことがあるけど、お笑いや映画やドラマで関西の言葉は普通に耳にするという意味では身近なものではある。なんとなく聞いているだけだとわかったつもりになるけど、いざ関西人のノリとツッコミで会話しないといけなくなれば、どう対応して分からないシーンはこれまで何度か合った(仕事で関西人がそのままのノリで話をしてくる)。

が、その理由がわかった。

大阪的とは「厚化粧のおばちゃん」である…相手(東京)より一歩ななめ上を行く姿勢でなければ生きていけない。のか。ほーん。京都人の嫌味とかは実際やられなくても知識として心情までイメージしやすいが、大阪のそれは面と向かってやられても本音なのかジョークなのかまったくわからないが、ああ厚化粧なのかと分かれば話が早い。そして、大阪人から見た時の大阪的な張り合いがいかに惨めなものか、それに対して、ザスパクサツ群馬のロゴマークがローカル根性丸出しにも関わらず清々しいと言えるのか。非常に例え話がわかりやすかった(私の言葉で書いているので作者の意図をしっかり汲み取れていないかもしれないが)。いずれにしても、サッカーのロゴって深い。気にしたことがなかった。あと関東では柏が大阪に似ているという話も気になった。あと東京と張り合わずに独自の領域展開をしているのは横浜市だと個人的に思うが、この辺の地域性には、もう少し目を向けてみようと思った。都心に住んでいると地域的な繋がりも(自分の場合だけかもしれないか)ほぼない。

あと、関西人がエリアごとに微妙に違う(と関東人は思う)方言を使い分けるが、このへんも理解を深めると色々な関西人の感性の機微が読みとれて面白いのかもしれない。

英語で会話しなければいけないシーンほどではないがありえるシチュエーション。しかも英語の場合は「あの時、ああ言えばよかったのかもしれない」と確認と検証が可能だが、関西の人とのコミュニケーションは正解が分かりにくい、もしくは人と人との対話だからないに等しい。関東で関西人のノリで会話しようとしても本土(大阪)の人しか意思疎通がとれないから、関東では関東のプロトコルに合わせて会話する人が多いが、やはり今日の多様性理解っていうのは、言語の壁を超えてこそ成し得るものではないか。ということならば「関西に数十年住んでいないと関西弁を話せない」という決めつけはそれはさておき、私も関西弁を自由自在に見聞きしてみたいのである。

と、またそんな思いが自分にあることを再認識した。

徒然草2.0
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