読書。情報生産性になる-上野千鶴子を読んだ感想。

徒然草2.0

社会学者の研究者とかを目指す人に最適な本。時間と金が許す限り情報生産の極道を突き進もう、という気持ちにさせてくれる本だった。

本物のヤクザに喧嘩と刺し違えなければならなくなったら、わしは情報生産組のモンじゃあ!とアウトレイジな駆け引きしないといけない覚悟を持たないと。

それはさておき(苦笑)、私はこのブログで曲がりなりにも情報生産まがいなことをやっているつもりの人なので、一体何が書いてあるのか?知ることは役に立ちそうだと思って、手にとった。

狙い通りだった。

とても面白いしためになる内容だった。

社会学者的にシステムとシステムの間に立つ周辺人になることは、昔から嫌いじゃないがただ臆病なので投資と割り切らないと直ぐにノイズのあるところに立つのが垂(だ)れてしまう。あとノイズの中に身を置くのは金も労力も命もかけないといけない。

上野千鶴子先生が言う社会学という形而上学ではなく、形而下学の方に興味を持ってしまったところがある。ちゃんと1度は研究するってことをやりたかった。今からでもやれるが、本気でやろうって気もなれないな。本当の極道になれない人なんだなとつくづく思う。極道もどきでいいや。

どっちかというと本物にならなくてもいいや、と割り切っている。

学問は自分を慰めるためにある、くらいのスタンスでもういいかな。

一番煎じの研究は学問領域で社会学をやる人が身につければ良い作法であり、アルチザン(職人)とクリエイタの間でセンスを磨くことは別に研究者じゃあなくてもできる。

二番煎じでもWebで興味を持たれてマネタイズできる人になることはできる(一応、そういうことをやりたいと考えている)以下の文は個人的に逆説的に役立つなと思った。

研究とは基本、言語情報をインプットし、言語情報を生産物としてアウトプットする情報処理の過程です。学問の世界には、身体よりは精神、感情よりは知性のような言語情報を優位に置く序列があります。しかし、非言語情報をインプットして、そのまま非言語情報としてアウトプットするやりかただってあってよいかもしれません。たとえば映像から映像へ、あるいはビジュアルな表現やパフォーミングアートによるアウトプットだって、考えられないわけであはりません。

まあこれは、社会学者としての本分を弁えて、鼻が高くなってはいけないよ、っていう戒めみたいなものなのだろう。

鼻がつくやつになったらオシマイですよね。

というわけで、自分の場合は曲がりなりにもソフトウェア・クリエイタとしてのアルチザン的な立ち位置を最後に示したい。

あと燃え尽きたら死ぬまでの暇つぶしと慰めを以て学問をしていたい。

まあ、いずれにしても、二次情報(セコハン情報)のさらなる加工品ばかりだから、もうすこしブログの情報として一次情報を増やしていきたいよな。。

徒然草2.0
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