戯言。人を嫌いになるのも自己責任なのか。

徒然草2.0

Aさんが嫌いであるという時、かつて嫌いなBさんにAさんが似ているから、ってことはありませんか。

…それもひどいことに似ているといっても、あたりさわりのない言動とか、同じジョークを言っているとかそういうことだけだったりして、ふと嫌悪感が蘇るってことはありませんか。

この場合…Aさんには嫌われる理由がなく、自分自身も別に嫌う理由がないのです。

じゃあ突き詰めてBさんが悪いのか?っていうと、Bさん自信にもなにか理由があったのかと思うと、あ、誰も悪い人はいないのかもしれないとふと気づくことがある。そもそも昔の話にすぎないわけで責任転嫁するのも違う気がする。

一体自分は何にそんなに嫌がっているのか?って気づいてしまうことが多々ある。

気づいて引っ込められるだけ、なんとかなっているけど、これはある種の病気だと言われてもしょうがない気がします。他人にこんな話をされたら「それは病気だ」って即答してしまいそう(苦笑)自分もそういうことあるよと濁すことにしよう。。

心というものは不可逆で特に不愉快な感情の再生産(リプロダクション)をさせないようにするというのは、心理学的なテクニックでもいっぱいあるのですが、わかっていても結構どう対処すればいいのか難しい。

嫌悪感や怒りに考えを巡らすのは「無駄な時間だ」と冷静に判断をしてサッと捨てられるといいんだけど。。

いずれにしても解決方法の一つは「そういうものなんだ」と客観的になって引き受けることが必要なんだな。

少し厳しい言葉で言えば、ネガティブな感情とどう付き合うかは自己責任ということなのだ、ということ。

例えば「人を好きになるのは自己責任」って言うなら、なんとなく意味は通じるかもしれないけど、好きになることが自己責任なら逆も然りで「人を嫌いになるのも自己責任」なのでしょう。

まあ、自己責任っていうのはちょっと経済的な話とか法律的な話とかとはちょっと違うかもしれませんが、その感情がリプロダクションされて影響を受けるのは自分自身なわけでネガティブな影響を与えてくるなら、それを客体化してもっと言えば無毒化(サニタイズ)しないといけないわけだ。

※まとめると負の感情がデベロップないしは繰り返しリプロダクションされる時にサニタイズしないといけない。自分の設定したゴールの前にあるものはすべて壁であり、乗り越えられないものはないと捉えることが大切。

徒然草2.0
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