戯言。ピダハン族の世界観に学ぶ

徒然草2.0

似たようなものは何度も見かけるんですが…

これって、すごくないですか? ↓(どこまで本当か?嘘をついてまで広めるひつようがあるような話かは謎ですが。過去に嘘の民族を捏造した文明批判的な記事を読んだことがあるので若干疑っています(汗))

ピダハン族の言語と思考。今、この瞬間にしか生きていな民族【c】

人間の悩みは普遍的な問題だと思っていたのですが…もっとうがって言えば、言語的な問題なのかもしれない。言語表現が乏しいように思ってしまいますが、不便というよりピダハン族の言語の方が端的に”正しい”のではないか。とさえ思います。

例えば、過去と未来がないというのは実際にそうで、私たちは今この瞬間瞬間を生きている…言われてみればそうです。私たちは現在を後悔したり、未来が変えられないことに不安や苦痛を感じたり、実に私たちは無駄なことを考えています。言語の時制表現によって作り出された虚像に思い悩むのです。

今だけを見てあとはせいぜいほんの少し先のことだけ考えていれば十分なのかもしれません。

聖書の有名な言葉にもこのようなものがあります ↓

「明日のことまで思い悩むな。 明日のことは明日自らが思い悩む。 その日の苦労は、その日だけで十分である。」

「後のものを忘れ、前のものに向かっていけ」みたいな言葉もあったと思います。

釈迦の言う「犀の角のようにただ独り歩め」も同じようなもの。

厳しい言葉で言えば故事成語だと思うが「覆水盆に返らず」。

私は過去と未来に思い悩むが、だいたいは無駄である。

時制の問題だけにクローズアップしましたが、神の問題や民族差別の問題や個人主義の問題も結局は「言語が作り出した幻想」に過ぎないのだということに気付いていれば、人というか自分の悩みを外部化して自分と切り離してしまうことも可能ではないでしょうか。自分の悩みは言語によって作り出されたものにすぎない。自分の見ている世界は言語によって作り出されたものである。それを自分や他人と共有しているにすぎない。他人にシェアされた共同幻想に思い悩むだけ無駄である。と、私はそう考える。

徒然草2.0
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