「時間は未来から過去に流れる」として未来を書き換えられる確信は得られないのでは?

徒然草2.0
Closeup of wooden christian cross on Bible, god, Wooden cross of Jesus.

こんにちは。

スピリチュアルカウンセラーのクリスティーネ剛田(?)です。

さて、今回は「時間」についてのお話です。

多くの人は「時間は過去から未来」へ流れていると考えているそうです。

…ところが「時間は未来から過去」へ流れてくると考えたほうがいいです。

私が何を言いたいのか分からなければ「時間 未来から過去」とかで検索すれば、自己啓発系かスピリチュアル系か分かりませぬが、詳しい説明をしてくれる人が出てくるでしょう。

まあ、私も自分は過去から未来へ向かっていると思っていましたが、最近は時間が前から流れてくる気がしています。

これは、昔のお経(阿毘達磨倶舎論)などにも書かれている昔からある考えのようですが、じゃあ未来から流れてくるとして、だから何なの?ってなりません?

まあ、「未来から過去」の方がいいのは、過去から未来だと現在の認識から未来を描こうとするので、コーチングの観点からはよろしく無いというのが理屈です。現状に縛られているから未来が変わらないということなので、一理あるといえばあるのですが。ここでおかしな話があります。時間が未来から流れてくるとしたら、どうして「未来の時間を私達が書き換えられる」という確信を持てるのでしょうか?未来は決まっているものが流れてくるとしたら、書き換えられなくないですか?(苦笑)

別に茶化しているわけじゃないし、私も曲りなりにコーチングを学んでいるので、まあ「未来は自由に書き換えられる」って思うことにしているのですが、いまいちそこんところに確信がないんですよね。そういう意味では(過去からの積み上げで未来を変えるという世界観をそこまで否定しません)時間思想については相対主義者という立場で、時間の捉え方は人それぞれであり、決まった捉え方はない。

なぜなら、時間という概念が人間の想像の産物だから。

より簡単に言えば「人類は時間というものを、よくわかっていません」だから当然ながら「私にも時間というものが、分かりません」だから分からないものに思い悩む必要がありませんから、過去や過去世(に負った業)にとらわれて生きる必要はありません。

分からないものを確信するというのはおかしいですよね。

存在しないものを信じるわけなので、幽霊が存在していると信じるようなものですよね。それを信じたいなら否定はしませんが、なぜなら、そういう思想もあるからです。思うのは勝手。でもその程度のもの。ものは考えよう。一切皆空。

でも、世の中には「未来から時間が流れてくる」と捉えている人が昔からいたし、その「未来は書き換えられる」と考えていたほうが、健全なんじゃないですか?と提案したいと思いますが、本当のところでは「時間はよく分からない」のではないでしょうか。

これがいわゆる私なりの時間に関する哲学というかわかっていない”時間”に対する今ん所のポジション。

これがある種の確信に変わるといいんですけど、そこまでは悟りきれていないですねぇ。

まあ、未来を変えられるように行動したほうがいいとは思いますけど。少なくとも過去(と過去に準じた今現在)の牢獄からは抜け出しましょう。

いずれにしても、変わろうとしないと人は変われませんし、いい方向へ変わろうとすることは何歳になっても(明日死ぬとしても)大切なことだと思います。

明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい by マハトマ・ガンジー
たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。 By マルティン・ルター
徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました