浪費はみんなができないことで、節制はみんなができること。
浪費といえば、売れっ子YouTuberのヒカキンやはじめしゃちょーがすでにやっている。節制とは対極の関係にある両者は、すでに流行しているともいえるが、これからさらに両極端になっていくのではないか。
AI時代にできることの幅が狭まりつつあるとしたら、自分にできることは、自分の所有物を減らさずに生きることなのではないか。ふとそう思ったので、この考えを深めてみたい。
時代は、悪く言えばケチ、よく言えば節度ある生活ぐらいしか、自分の場合はやることがない気がする。まあ、多くの人にとってもそうなのかもしれない。
お金があるだけ使ってしまうことは、ある意味で簡単だ。しかし、それでは面白みに欠ける。むしろ、いかに手元にお金を残すかという節約ゲームや節約スタイルには、これからも楽しめる余地がある。シンプリストやミニマリストという分野もなくならないだろう。
極貧生活をさらけ出すこともネタになる。これも節約スタイルの一種でしかないと思う。
ただし、ベーシックインカムが充実すれば、節約スタイルは廃れていく傾向にあるのかもしれない。貧困に陥らずに済む状態なのに、あえて貧困を選ぶのはおかしいからだ。
一方で、何かしらのこだわりがあってベーシックインカムを拒否し、自給自足の生活を送る。それがカッコいい、という価値観に興味を持つ人は、今以上に増える可能性がある。
そう考えると、私が志向するアナーキズムは、今よりも目立つ政治活動としてではなく、思想や生き方として輝くのではないか。
その第一人者に全振りすれば、世界をとれるのかもしれない……というのは、岡田斗司夫に「どうやったら世界をとれるのか?」と話を振っている若者の表現を真似てみただけだが。
金持ちになるには、いろいろな意味で選ばれた人間でなければ難しい。しかし、貧乏はコストがかからない。見せ方次第では誰でもできる。
だからこそ、そこにはまだセンスが生きる領域が残されているのではないか。

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