戯言。結局は英語も数学も記憶勝負。

徒然草2.0

年を取ってきたので…いや、年をとったこととよくよく考えると別に関係ありませんが、むしろ若い時からすべきですが、勉強しています。知識が陳腐化しているし、知識自体が失われているし、いやもともと足りてないし、新しい知識も不足している。よって知識を増やし直さないといけない。知識の追加とリバイスが必要。まあそれはともかく、勉強が目的化しているところもあって、以前よりも勉強が楽しくなってきています。それはさておき…

よく勉強の話題で「わからないことがあってもわからないなりに解く」というテクニカルなことが語られますし、遮二無二やっていれば解けてしまうということは多々あります。たしかに大切なテクニックというよりは「何がなんでも問いてやるぞ!」という執念というか気合は大切なのでが…あくまで追い詰められた時のテクニックという精神のありかた=精神論に過ぎない。よって過信せずに確実に解ける方法を知っていないなら諦めた方がいい。いや、それよりも学習で諦めない問題の数を増やして着実に歩を進めたほうがいいとすら思う。まあ私がテクニカルなそういう響きがいい(?)ものさえあればなんとかなる!と思う性質(たち)なのが問題なのであって、もとより勉強ができる人はそういうものに縋らないので「当たり前」な話かもしれません。自戒を込めて言えば、がんばればなんとかなる状態を作り出してしまった自分を呪う方を覚えるべきだと思います。逆に言うと小手先だけのその場しのぎなテクニックでなんとかなるはずだというスタンスを捨てさせるために、無駄にがんばらないことも重要なんではないか?…と、たぶん自分が年をとったんでよりそのように思うようになった。やんわり言えば、別に経験の足りない人はどっちを選択してもいいけど、できれば無理にテクニックから入るべきではないよな、って思う次第です。

例えば…

数学で言えば「解の方程式」は二次方程式から求められれば暗記しなくていい…なんてよく言われますが、試験で解の方程式を知っているのと知っていないのでは速度差が出るので、数学が得意な人の「暗記しなくていい」を真に受けるのは危険だと思う。

英語で言えば「単語の意味が分からなくて品詞が分かれば文型が分かり問題が解ける」みたいなのも同類で、単語の意味が分からなかったら結構もう致命的だと思うんですけどね。単語の意味が分からない人が、文法問題を解けるスキルを持っていないシーンの方が多いんではないか。いずれにしても練度不足は否めない。もちろん、すべての単語を覚えることは不可能だから、なんかしら意味が分からない単語があるシーンはあるのでしょうが、3割~9割ぐらい分からなくて文法も分からない私には無用なテクニックだな、と。

つーわけで、勉強の本質を捉えた学習において…付け焼き刃な「知らなくてもどうにか問題を解く」テクニックは過信せずに、むしろ捨てるべきだ。なんてことを最近強く思った次第です。

徒然草2.0
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