戯言。幸せの『資本論』を読んだ感想。

徒然草2.0

橘玲の幸せの資本論を読んだ。

はじめは偏見であるが、人の幸せを型にはめ込んでいるようで、なんだかいけ好かないなーと思ったが、橘玲自身にもそういう意図はなく、むしろ人が生涯で得られる資産を3つにカテゴライズして、金融資産、人的資産、社会資産に分けた上で、なおかつ其々の人が持つポートフォリオのから人を8分類していて非常に分かりやすい。

もちろんこれでも内容についてはたくさんの反論がありそうだし、ロジカルに人の幸せを考えてみたいひとでなければ受け付けない内容だけど、曖昧になりがちな人の幸せにある種の応用的な合理性をプラスアルファしてくれる。現実を正しく認識したくない人には向かない内容かもしれないが、私は自分の現状を正しくしっておくべきだ、と思う。

色々な資産が欠けていようが気の持ちようでなんとでもなる!という生き方もありだけど、目を背けているということは自覚しているということにもほかならない。であれば、目を背けないでおきたい。

自分はこれで言うと旦那・マダムの一派なのだろうが、社会資本も金融資本も足りてないので違和感しかない。自分にとって足りていないことは嫌でも自覚する。何を持っていて何をもっていないのか。

超リア充やリア充や金持ちには憧れるものの、退職者やプア充の観点が完全にすっぽ抜けていた「プア充そんなひとおるの?」と思いながら見ている。リア充が金融資産がないというのも変な定義。

おおむね橘玲が提示する理想的なポートフォリオの内容に同意しながら、また色んなところに違和感を感じながら、知的に人生戦略が考えられるかもしれない程度の内容。

すべてを持っているようなお金持ちでも、実際に深く付き合ってみると(そんなに深く付き合ったことがないのだが)意外に心の隙間が見えてしまうこともある。逆に貧しくても(そんなに深く付き合ったことがないのだが)心が豊かな人もいるのだろう。結局は自分の思想の根がそうだからだけど幸福の相対主義論になっちゃうな。

とりあえずほどほどに自分はなにを優先すべきか考えながらポートフォリオの歪性を排除して中庸をなるべくめざすのが正しい道ではないかと今のところ思うことにしておきます。でも、それは人それぞれだから他人には押し付けられない。

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