日本の米農家が生き残る抜本的な対策を、農林水産省はするつもりがないらしい。減反政策をとりながら外国へ米を輸出することに勤しんでいる。
それを批判する人が言う。日本人は今の金だけをとる「拝金主義社」で未来を考えてない⋯そうなのかもしれないが、私はそういうわけではないのでは⋯と思っている。(日本の)農業はコストがかかることを度外視している。具体的には、本来ならば結構かかる米の費用をどう負担するのか?という話なのだが、日本国民がそこから避けているので、結局は官僚も政治家も国民もやすい方に流れているだけだと思う。
おそらく、特定の誰かがいけない、ということでもないのだろう。
近いうちに高い日本産の米か安い東南アジアの米どちらか選ぶ未来がくると思ってはいたが、いくら美味しくても海外産を今のところ買い続けようとは思っていない⋯まあ切り替えてしまえば、それはそれで問題ないと思うけど、ブランドチェンジというか産地のチェンジは結構心理的ハードルが高い。
考えるのは簡単だけど、いざそれを実行したり影響を受ける立場になると、拒絶したくなるということがある。
考え方が安っぽかった、計画が甘かったとか、想像力が不足していたとか、なんとでも後付の失敗理由をつけられるが、私としては「わかっていたけどやっぱりいやだ」の連続なだけだと思う。
結局、解決する強い意志がないなら考えてもカタチになることはない。
易きに流れるが常。
これを波に例える人がいて(それがオムロンのSINIC理論というものらしい。図書館で本を探したが見つからなかった)、その差が利益を生む厳選だという人もいるけど、市場経済でどう立ち回るか?という意味では賢いのかもしれないけど、個人的にはなんだかなぁ。
AI活用をお金を払って学ぶ時代になった。そのエヴァンジェリスト的な立ち位置にいる人は、現在のトレンドを見越して取り組んできたわけだけど、よくもまあそういう掛け方ができるよなと関心する。
自分の場合は極力お金を掛けずにトレンドに乗ろうという指向性になるだけで、わざわざお金を支払う人からお金をぶんどろうという発想にならないので、ぶんどる方向へBetできる人ってすごいなと。私の知っている人がそういうビジネスをされているが、どうしたらそういうガメツサ(たぶん当人は自分のことをガメツイと思っていないので、わたしがズレているのは重々承知しているのだが)を持てるのだろう。
ガメツクないと結局のところ成功ってできないよな。で、別に成功しようとしてガメツクなれない(経験談)。
備蓄米を食べている。朝日新聞の報道にもあったが、米が立っている感じで可もなく不可もない味。普通の単一原料米をスーパーで買うと5kgあたり4300円ぐらいだが備蓄米(複数原料米かつ国産米ぐらいの表記しかされていないもの)は3300円ぐらいで消費税を含めると1000円ぐらいは節約できる。余った1000円で牛乳や卵を買ったほうが単純に食費は節約にはなると思う。まあ、ぼやいてしまえば数年前は5kg 1980円でコシヒカリが買えたので消費者からすると十分に高いのだが。
日本人が米が食えなくなる未来は近いのでは。
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