昨日の話だが、洗足の花屋で何かの撮影をしているのを見かける。黒い服の人が多く、足を止めるとなんだか怖そうなので、早々と通り過ぎた。私が撮影したものではないが、たぶんこの動画。私が見た時は、メイド服コスプレ娘が歩道でおねえさん座りしていた。その人と目が合った気がして、ああそっち系かぁ…と思い、足早に立ち去った。いや、でも特撮でもああいう派手な衣装はあるから決め付けてはいけないけど。何の撮影だったんだろう???
@macmaxnn
生前ママはよく言っていた。今日のような強風の時はハンガーに服を掛けて干してはいけない飛ばされるからね。でも、そんなこと当たり前では。なんの教訓にもならないし、仮に服が飛ばされてしまっても、それはそれで経験がその人の教訓になるだけだ。記憶に残らない遺言って遺言の意味あるの。無言の方がまだまし。
『誰も知らないジブリアニメの世界』岡田斗司夫を読んでいる。
ムスカの挫折とパズーの活劇じゃないけど、宮崎駿の挫折と活劇が描かれていて興味深い。スタジオジブリは一般大衆向けだからか最も成功したアニメーションの会社のように思えるが、監督としてもアニメータとしても、とくにとなりのトトロがテレビで人気になる前までは、苦難の連続だったことが印象的だった。「となりのトトロ」でメイとサツキが姉妹になった理由→高畑勲監督の火垂るの墓と尺を同じにする作画上の理由からそうなった。
魔女の宅急便では、科学文明に翻弄される魔女の奇蹟=便利なものに慣らされると人間は退化する=アニメータがCGに頼るな!という宮崎駿の意思の現れ。原作者も不服だそうだが、少女の自立を描いた話にしたらあまりにも退屈なアニメになっていた気がする。ちなみにキキがジジと喋れなくなったのは、原作だと少女の間だけ喋れるという設定だが、鈴木敏夫曰くイマジナリーフレンド(空想上の友達=自分の友人)が不要になった=大人になったから、とのこと。魔力が戻らないのかと思っていたが、それなら箒で飛べるのおかしいな?と思っていたが…そんなのわかるかよ。プロデューサとして、視聴者がわからない表現よくOKにしたな。でも話のなかで、キキが建前をジジが本音を言うという使い分けをしていると複雑な少女の心理を描いていると考えると筋が通る。ちょっと拡大解釈(こじつけ)な気もする。
岡田斗司夫ゼミに1ヶ月はいりたいと家の人に相談したらダメだと言われた。放送大学の哲学科に10年入るより安いのですが。。。
『世界のニュースを日本人は何も知らない5』谷本真由美を読んでいる。
足立区をガザ地区に例えた話は分かりやすい。というか足立区の人に失礼。でも関東平野に住む人にしか分からないような。しかし、これすごい力作だ。優れているという意味ではなく、作者がゴリゴリと腕力を入れているという意味で力作。数ページにわたりよく書いたな。ぜんぜん読む気がおきなかった。
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