戯言。MAD MAXシリーズとBUSHIDOの関係

徒然草2.0

研究するに値する(と個人的には思う)ネタが思い浮かぶが、調べるお金も時間もない。

MAD MAXって面白いよね、って映画好きな人と共感する事が多いけど、じゃあどこが面白いの?というとぶたん十人十色ですよね。面白さの定義が個人によってだいぶ違いがある気がしています(仮説)そもそもMAD MAXとは何なのでしょうか?定義が分かりません。

ちなみに、怒りのデスロードは色々と微妙なところがありますが、MAD MAX的な部分はハズしていなかったので、そういう意味では良かったと思います。監督いい仕事したなーって感じです。でも、私が好きなのは2と3です。

MAD MAXシリーズの何が面白いか?…敵が個性的だとか、そういう話になりがちですが(苦笑)それならば、バッドマンのジョーカーとかも面白いじゃん?ってことになっちゃう。そうじゃない、そうじゃない感を感じながらも、そういう話にどうしてもなってしまう。まあ、それはそれでいいんだけど。

…MAD MAXにあって他にない性質ってあるのか?を問うていくと、映画オタクでもない私が、あれこれ述べても、外したこと言わざるを得ないんだけど、、、マックスがかっこいいのは、、

・一人もしくは少数で、弱者の側につき、大勢の敵と戦う。

・利害関係を超えていく、勝ち負けや生死も超越していく。

でしょうか。

でも、これって簡単に言えば「武士道」の一部では?(わたしが武士道について調べているから、そういう発想になるんだけど)でもマックスはなんか知らんけど「巻き込まれちゃった」ので仕方なく戦っているって感じです。逆にそこがマックスのいいところでもある。アナーキーな荒廃した世界で出会った人との交流を大切にしていく。初期の「北斗の拳」もそういう感じです。バットとリンに出会って愛を取り戻すって感じの話にされていきます。つまりケンシロウが愛を取り戻す話にされていくのですが、マックスの場合は別に愛を取り戻したわけではなくてずーっと行方知れずの男って感じなのがケンシロウとは違うのではないでしょうか。ただ妻子を殺された男の復讐ってだけで、そこに対してあれこれ「愛」だの「家族愛」だのという味付けしようとすればできなくもないけど、それを加えないほうがいいのではないでしょうか。

ゴルゴ13は何者かわからないからいいわけでしょ(あまり知らないが)それと同じ。そこは見ている人に委ねてくれればいい。素っぴんで原始的な武士道精神みたいなもので、止まっているからいい。「葉隠」最高みたいな。

また、マッド・マックスの場合、最終的にマックス側が勝つ。勝たないと映画として成立しない。けど、死んで終わりでもいいかもしれない。でも、死んでしまったら「命を掛けて戦った戦士」になってレジェンドになっちゃうからダメ。死によって美化されてしまうのは違う。「男は荒野に消えていった」という終わり方でないとダメ。バーダッグ VS フリーザ「ドラゴンボールZ たったひとりの最終決戦〜フリーザに挑んだZ戦士 孫悟空の父〜」みたいに、サイヤ人がフリーザという兄弟な征服者に支配された話にすることはできるが、結局はエピローグ的なもの/スピンオフにしかならない。

というわけで話をまとめると…

・マックスの人間関係の希薄さや義理難いところがそもそも彼の魅力

で、このへんは人類不変のカッコよさだとは思うが、MAD MAXに似ているものはあっても、似て異なるものになってしまうのではないか?表だって言えば、MAD MAXは唯一無二である。ということになる。どっからかやってきて、弱気を助けて、どこかへ去っていく。風のようなヒーローって探せばいくらでも出てくるけど、マックスの場合は失敗もするしどこか人間臭いんですよね。

このへんを突き詰めていくと面白いのではないか???

そんなどうでもいいことをMAD MAXを見ずに考えています。せめて映画を見ながら、ついでにコストコで売っているカークランドのポップコーンでも食べながら、考える時間がほしいですね(汗)

徒然草2.0
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