起業が成らねば、事業を変えている…のか?何の事業を起こしているのか?と問われると、大変言い訳が苦しい。「何もしていない」が正しい気がする。近々すっかり副業が忙しくて忘れていたのだが、私は5年ぐらい前に起業したのだと思う。つーか、それ以前にどう生きるべきなのか?を見失っているのだが(苦笑)、それ以前に起業した事業をどうするのか?だよなーと、ふと思い出さねばならないなと思っている。
最近、だらだらと戯言ブログを書き始めたのは、2つ理由がある。
1つは、半年ほどAdsensの調子が悪かったのだけど、最近またすこし小銭が入り始めたからで、ストックビジネスとしてのブログって、やっぱりありだよなーと思い直したから。
どうでもいい心情でも記事化して記事を増やしていれば、流入が少なからずある。月数万円でも売上があると、どうなる訳でもないが精神衛生上とてもいい。あわよくば月10万円ぐらいに育てられればいいのだが。
2つは、思っていることを文章化して再確認するため。あくまでパブリックに書ける範囲で書いている(つもり)だが、今日日考えていることを書き出すと精神衛生上にも自分の場合に良いみたい。
自分が今何を考えていたのか?自分自身でふと気がつくというか。文章を書くということは、自分の状態を知るモニタリング行為なのかもしれない。
ある人が私に言ったことがある。
「(成功していない人の言葉は無意味であるから)発言を控えよ」で、まあわたしが無駄なことを言っていると指摘して「黙らせよう」としたのか「従わせよう」としたのか謎ですが。そんなことを言われたことが有る。
しかしながら、これは偽だと思う。断固、否定する。
なぜなら、言葉は習慣である。それに、ビジネスをするのだから、自分の言葉で語れなければいけない。他人の言葉を真似ていれば、成りたい他人になれるわけじゃない。(そいつが本田健だか神田昌典だか忘れたが、その当時の成功者と呼ばれる人の言葉を真似ていた)
(だいたい、成りたい他人ってなんだよな…)
で「他人がどう思おうが自分の言葉を探り続けるべきだ」が、私なりの答えになる。他人がどう思うかを気にして言葉を選ぶなと言うつもりはない。別に頑迷になることは推奨していない。ただ、自分の言葉を探し当てて、上手い具合に使うしかないのだ。
それで成らずば、ただ終わりなだけ。40近くになると、変われない部分は、変わらない部分になり、それはそれで肯定するしかないんだよな。よくよく考えると変わらない部分はどうせ変わらない…ある意味「迷い」は消えていく。そんな自分に気がついてくる。いい感じ。
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