安倍晋三は『美しい国へ』という本を書いた。それを引き継ごうとう意志か高市早苗は『美しく、強く、成長する国へ』という本を書いた。それらをガン無視するかのごとく石破茂首相は「楽しい日本」といい出した。
石破茂「全ての人々が、安心と安全を感じ、信じ、多様な価値観を持つ1人1人の国民が、今日より明日は良くなる、そのように実感をし、自分の夢に挑戦し、自己実現を図っていける。お互いが大切にしそういう活力ある国家であると考えております。」
堺屋太一『三度目の日本』に由来するそうで地方創生を謳う文句らしいが、、わたしとしてはまったくもってピンとこないキーワードで、物価高や増税に喘ぐ国民の怒りの火に油を注ぎ政治不満を募らせるだけでは。これって悪夢の民主党政権ってやつと似てなくないか。不景気のはじまりか。昨晩はSMAP中居正広の大手企業がCMを打ち切ったフジテレビの記者会見が紛糾して10時間以上もやっていたらしい。フジテレビがどうなろうと何の影響もないせいか興味を持てないが、なんだか全体的にことが大きく成り過ぎでは?という気がしてならない。これらの問題に関係ない外野がフジテレビに対して怒るのは筋違いだという言及とかもどうでもいいや。別に必要以上に怒りたい人は怒ればいいのでは。テレビ関係者は気が気でないけど総務相や電通との癒着問題も同時にあれこれ取り沙汰されているが結局なにかいい方向に変わるのかと言えば何も期待していない。とりあえず、岡田斗司夫のホワイト社会化って思ったより進んでいるんだなと感じた。人間の持っている価値観をベースに自分の行動を決めるということに限界があるのでは。そういえば女性問題について中居正広はすべて自分の問題だとしたのはいいが、記者会見をせずに芸能人を引退したことに違和感がある。社会人が退職代行モームリを利用して会社を辞めるが如し…表に出ずに静かに去るのが松本人志にせよ流行りなのかもしれない。社会に面を出すのが最低限の礼儀みたいに思っていたが、そんな”儀式”は無意味ということなのかもしれない。Xでは北野武や島田紳助の説明会見が褒めそやされていたように、儀式はしっかりやったほうがいいのでは。
話を戻して自分が社会にどう向き合うか?価値観や道徳観とそれに伴う儀式をどうするのか問題に関連してか、西洋哲学思想をざっくり学び直したせいか中世と近代を結ぶあたりで立ち止まって熟考したい欲求がでてきただけなのか不明だが、うまい具合にキリスト教を自分に再インストールしようと試みている。再インストールってことは過去に何度かいれようとしたということだがうまくいかなかったことでもあるが、長年何度も失敗していると多少は進歩するようで少しずつこなれてきている。
キリスト教を「信仰」と言うとちょっと違う気がする。「宗教」とも捉えていない。宗教的な「儀式」が大事と全く思わない。ただ絶対神とそれにともなう「論理」と向き合うことが、ストア哲学をはじめとする西洋文明を捉えるエッセンスだ、という点で無視はしないほうがいいくらいかな。できればどちらかというと肯定的に受容したほうがいい。佐藤優のキリスト教関連の書籍を、しっかり理解したい。根源的な動機は、在る種のインテリ的な知的好奇心に寄るものか、それとも、西尾幹二がドイツ文学というかニーチェを影法師にして日本保守思想に傾倒するような動機かもしれない。自分でもよく分からないが西洋思想を理解するということの3分の1くらいは一神教を一晩くらいは語れる必要がある気がしている。救世主が現れて神の国に入りたいとか荘厳な正教会で讃美歌とか聞きたいとかいう気はない。律法に対して真摯に向き合いたいというのは、ユダヤ教のイエスがしてきたことだ。というわけで、なぜ今キリスト教なのか?という問いに正しく答える自信はない。別に自信を持って信仰告白すべきであると捉えていないからそれでいいけど、ただ自分でも動機がしっくりきていない。
…結論から言えばヒトは(わたくしは)、ひとの精神は茫漠の中にたたずみ正気でいられるような創りにはなっていない。
つまり2つに1つ、人の間にあって自分を見つけ出すか、それとは別の非人的な価値系の中で自分を見つけ出すか…いずれかを選ばなければならない…というよりほとんどの日本人は、前者を無意識(何も考えずに習慣的にという意味)に選んでいる。日本人は前者の解決策をとるしかないと考えがちだが、現代においてはそれが逆にしんどい原因そのものなのではないか。じゃあ後者の非人的な価値系…例えば、キリスト教の神を信じればいいか?と言われれば、米国人でさえ無神論者が増えている有り様で、そんな簡単な話ではない。でも、やはり人間ではないものの言うことに耳を傾けるほうがまだマシかもしれない。
別に私の生き方は民主的に決めるものではないから、みんなの声に耳に傾ける必要もない。自分の裡なる声に耳を傾けて自分のやりたいようにやるでもいいかもしれないが、日本人向けの体のいい自己啓発本には例えば「自己肯定感を高めよう」と言った具合に自分で自分を肯定する自画自賛的というか自助努力的というのか分からないが、自分によって自分を救う話がある。個人的には、どちらもしんどいと思う。他に手はないのか?というとある。自分ではなく神の声に耳を傾けることである。無宗教な日本人には胡散臭いと思うだろうけど、絶対的な存在を軸にすることだ。自然発生的な日本人なるものへの無根拠な信奉にほとほと飽いたら…あとは神ながらの道に入るしかない。だから、古事記やギリシャ神話でも読もうと思ったがキリスト教でもいいじゃないか。むしろ不安混迷の時代に進んで無神論者をやる必要もない。
(話がまとまらないのでしかたがなく)はじめにもどすと、楽しい日本は美しい国よりもいいかもしれない。地上の楽園をつくろうというスローガンのもとに日本が1つにまとまるべきと言えばそうしてくれたほうが万人にとっていいはず。
未来の日本を妄想する。人口減少の結果、土地が安くなり広いお家に住めるようになってストレスフリーになりました。都市の中心に住む必要もなくなり、メタバースでリモートワークも快適そのものです。自動車の自動運転に家事ロボットで生活も楽になりました。…みたいになればいいけれど、ふと昨晩は日本が『1984』のようなディストピア社会になった夢を見た。フジテレビの記者会見はすべて仕組まれたもので裏では中国が日本列島を支配するための橋頭堡を築くプロセスが完了したみたいなことが起こっているという妄想に取り憑かれて夜も眠れなかった。
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