戯言。日本人を辞めるにしても体力がいるよね。

徒然草2.0

日本人が”リベラル”を眉唾ものとか嘘っぱちだと批判する感性について、私は長らく分かっているようで分かっていなかった。”リベラル”を”マイノリティ”と言い換えてもいいかもしれない。自分の中にある2つの考え方が、どのように融合されるべきものか?もしくは離反するべきものか?が幼いころから、よくわかっていなかった。

リベラルの対局にあるのがコンサバティブで、どうやら拙いこの2つがあって自分の中で「矛盾を引き起こしている」というのは、10代の頃から知っていた、というか自分が解決すべき至上命題だった(心の中で2つに分かれており、結論から言えばどっちを選択するのか、決めることができなかった。ただ今も決める必要がなく、決めていない。それが何であるか以前より、捉えるのがうまくなっていて”どっちつかづがいい”というところに落ち着いてはいる)

それを日本の歴史を踏まえた上で説明することは極めて困難だった。

自分は右翼的でもあるし左翼的でもあるが、一体それがどこから来ているのか分からなかった(今も正確に分かっておらず、しかたないから原点を思い込みで決めた)。が、それもまた人間なのだ。みんな適当に自分の立場を決めているに過ぎないと割り切ることにした。

人間というものは自分の原点を決めていないと、理論を積み上げられない。アイデンティティがないと言ってもいいかもしれない。キリスト教徒なら神を起点にする人もいる、日本人であることを起点とする人もいる、反伝統反資本主義を前提にマルクス主義者になる人もいるかもしれない。

…そうして思想的なスタンスを決めることには、どちらにもメリットとデメリットがある気がした。だから、自分の場合は、すべては幻想とか仏教の空だとか決めつけてみたりして卑怯にもスタンスを決定せずにいた(スタンスを決めない人をすべて卑怯だというつもりはないが、自分の場合は顧みるに卑怯)。

どの思想というものも現実を上手く生きるには役立たない。

思想を役立つとか役立たないかで腑分けするのはどうか?という意見もあるが、思想なんて突き詰めれば自分の生存にとって役立つか役立たないかだ。信じる信じないはそうして決まる(思想的な人をみんなそうだと決めつけて思想を持つことと思想を持っている人の尊厳を否定するつもりはまったくないから、あまり表立ってそういう話をするつもりもないが、)そうして自己確立ができないと、家族や共同体やそして人類へと繋げていくことは難しいのではないかと思うようになった。(例えば、子どもがいると家族と日本人の歴史性を肯定せざるを得なくなる。逆にそれを否定すると自分と自分をルーツを否定することになるので、家族制度を否定するって矛盾していますけど…矛盾している!と少なくとも私が思っていたのが自分の親だったわけですが。その辺の自覚がまったくない人なので言っても無駄ですが。私も人のことを言える口ではないかもしれませんが、親の思想が子どもにどれだけ影響を与えるか、親になると忘れるようなのです。まあ、それはともかく)

この部分は結構重要で、いわゆるリベラルな自由とかキリスト教の愛とかは(優れた部分を優れたるものと認めながら)自分の中で軸にはならないことに気がついた。良くも悪くもそれら(リベラル的な思想)を取り入れるのは無駄じゃないにせよ、弱者の戦略に過ぎなかった。自分は弱者だから卑怯だったのかと気がついた。人は自分が臆病なことには気付きにくいものである。自分にとって、聖書や資本論を手に取ることに必然性はなかった。これらは技術書あるいは生活百科としては手に取るものの、自分の生命の本じゃあないなという感じがしている(まあ、技術は生活に人生にも使えるんですけどね)それらがプリンシパルなものになりうるほど、自分は器用じゃなかった。

もうちょっと頭がよかったら、違う選択ができていたかもしれないが、年をとると頭の働きが鈍くなる…特に新しいものへの感受性が落ちてくるから、自分に取り入れられなかったものは残念ながら捨てるしか無くなってくる。

そうして捨てた結果、日本人的なモノだけを感じておけばそれで望ましいということになる。まあ、悪く言えば怠惰かもしれない。正直言えば面倒くせえ。けども、面倒くせえのも時にはそれでよく、他人に余計な負担を掛けさせる気もなくて、それはそれで1つの和合かなとか思うわけ。

そういうわけで、日本人性を今後は追求していけば良いやと、40手前でふと思いました。最近は、よくそんなことを考えながら、その手の本を手にとっています。ビジネス保守のいい餌食だね(何)。まあ、本は買わないですけどね。もっぱら図書館。

…あとこれも余談ですが、私が右寄りの思想を否定していた根拠には、日本人としての歴史的な経緯を自分が受け入れていいものか?という命題の真偽が不明だった。そもそも自分の内部にある日本人性を、連綿と続く日本の歴史性と位置づけて良いのか、確信すら持てなかった。

流石にこの年になると、自分は異世界転生してきたとか、魂ここにあらずとか、思っていても口に出さなくなる。

徒然草2.0
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