戯言。八代亜紀の舟唄はなぜ「肴はあぶったイカでいい」のか。

徒然草2.0

演歌歌手の八代亜紀が膠原病でなくなった?膠原病ってなにか?というのは後でふれるとして…八代亜紀でYouTubeで検索すると舟唄という演歌がひっかかる。

他にも美空ひばりとか藤圭子とか出てきて、それぞれ違う声色で素敵ですが…

いろんな演歌歌手の舟唄がある

八代亜紀の舟唄↓

美空ひばりの舟唄↓

藤圭子の舟唄↓

どれもいい歌ですね。

イカ”で”いいとは?

ところで、なぜ「肴はあぶったイカでいい」んだろう?

イカよりもっと世間的にはいい酒の肴があるという意味にとらえられますよね。

事実、この歌詞が「嫌い」と言っている人が知人にいましたし、その気持ちわかります。むしろ、そのひとの意見がなければ、こんな記事を書いていないですが…その人のかわりに考えてみました。

舟唄は、男が昔の恋の未練を吐露していますが、なんだかこの男すこし奢っている性格だったんだと思います。「女は無口がいい」とか言うてますが、聞いている方は「てめーの女の趣味なんかしらねーよ」って感じよね。

この男、そんな性格だからか、いろんな未練が酒を飲みながら昔の女を思い出しては頭の中であれこれ考えているんでしょう。なんだか自分勝手というかナルシストというか自分に酔っているところがある気がします。そんな野郎は、いとしの娘の気持ちなんて考えいませんし、男尊女卑的な感じはフェミニストにツッコミいれられるというわけだ。ま、男の私が言っても何に怒っているんだ!?か分からないかと思いますが。フェミニスト的な感性の人の言い分はよくわかります。

しかも、そういう歌を男が歌うわけじゃなくて、女性の歌手が歌うわけです。ここも変なところです。男が歌うより染み入るものがあるんでしょうか。どこまでも男が浸る歌。

「女は無口がいい」ならともかく、「女は無口でいい」とかだったら、完全に上から目線での押し付けがましい。すくなくとも「肴はイカでいい」はイカやイカの漁師に失礼です。なんでこんな歌詞にしたんだろう?

まあ、1つ歌の韻という観点から、

「お酒はぬるめの観いい
肴はあぶったイカいい
女は無口な人いい」とうように、接続詞で同じ音「が」が続くとしつこいので別の音の接続詞である「で」を使いたかったのだと思います。男の単純な願望を定義したいわけではなく、男の「人生の諦め」を表現したいわけで、こうなるより他になかった気もします。

でもやっぱり、男の諦めが諦めきれていないわけで、男が歌うならまだしも女が歌う意味はよくわからないなあ。ケチをつけたいわけじゃあありませんしいい歌だと思うのですが、歌詞をふくめ歌ぜんたいに違和感が残ってしまう。

ダンチョネとは?

ちなみに、歌詞に含まれている「いとしのあの娘(こ)と朝寝するダンチョネ」ってなに?ちょちょめのこと???

…調べてみるとそんあエロい意味ではなく(早とちりでした汗)「神奈川県三浦市三崎町発祥のダンチョネ節という民謡」なのだそうです。

てかこれもいとしい娘をおいて船に乗る男の話ですね。断腸の想いという言葉から来ているという説もあるのだとか。いずれにしても、未練を表現しているんですね。

男は漁師なのでしょうか。

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