戯言。ヤクルト飲むと、腹が壊れる。甘い苦痛、甘えた苦痛。

徒然草2.0

私のブログでわりと読まれているらしい記事に「男は幸せになろうと思うな」というものがあるのだが、なぜ読まれているのだろうか。

魁!男塾の江田島平八の言葉をパクったからだろうか。

…内容が評価されて読まれていると嬉しいのだが。

あの記事に出てくる「できる男」は珍しく尊敬できる人だしなぁ。

その人の言葉を書いているだけだが、わりと力作でいいことを書いたつもりである。

…まあ、いずれにせよ、私にせよ私以外の人にせよ、生きている実感を感じづらい世の中になってきているのかもしれない。これだ!という生きる道があれば、迷わず進み「そのまま生きればいい」言い方を変えれば「そのまま死ねばいいのに」私達はそれができなくて悩む。生きるか死ぬかの二元論だけがあり、悩む時間がなくなればすかっとして小気味いいのに、それが私達(少なくとも私)はなかなかできない。

 

最近、左下の親知らずを抜いた。歯が痛い。

だが、おかしな話だが、痛いからこそ、生きている感じがする。

そのうち抜歯した部分の歯茎の肉が盛り上がって、痛みが消えると思うのだ…それはまちどうしいわけだが、しかし、そうして再生してしまうとなんだか、それ以上の再生というかプログレッシブ性は望めない。そうすると、なんだか生きている感じがしなくなるのではないだろうか。2週間後に右下の親知らずも抜いて、少なくとも12月いっぱい年内は歯痛に苦しまねばならなくなりそうではあるが、ある種のサバイバル状態である。ストレスも凄まじいし、やってられない年の瀬でゆううつ気分ちゃそうだけど「またそれがいい」と思うようにしている。

痛み止めを飲みながら、堪えるのにうんざりしながらも、この避けがたい苦痛を楽しんでいる自分がいる気がする。どれだけ痛いのだろう?痛みにわくわくする感覚を最近わすれていたきがする。仕事の苦痛を楽しんでいる事もあったようだが、最近そういう感覚は仕事に対してはない(苦笑)だから、あえて肉体的な苦痛で遊んでいる(?)両方の頬が痛くなったらどうしよう?90%の苦痛に10%の楽しみがある。

最近、ヤクルトを飲んでいる。

正確にはピルクルだが...。

飲むとお腹が痛くなる気がする。

...乳酸菌の効果だろうか。やっぱりヤクルトは、お腹が痛くなる=お通じが良くなる、ではないだろうか。これが本当に体にいいことなのか、疑わしい。ストレスや睡眠不足でお通じが悪くなることはあるが、基本的に便秘で困ることはあまりない体質だから、別にこれ以上お通じが良くなる必要もないので、ヤクルトは飲まないほうがいいのかもしれない。野菜ジュースも飲みすぎるとお腹が痛くなる。でも、お腹が痛くなるほど効いている証拠だと思うと、それがいいのかもしれない。あとヤクルトも野菜ジュースも甘くて美味しい。

甘くて美味しいものを飲んだ後にくる腹痛...ってある意味とても理にかなっている気がしませんか?

甘くて体に良いとか、できすぎています。苦くて体に悪いとか、だったらなんのために飲むかわからない。キューサイのCMじゃないけど。青汁は不味いからいい。(でも、最近の青汁はどれもおいしいきがします)甘くてほどほど苦痛を感じるからいいのでは。

本当に痛いのは嫌だというか耐え難いけど、ほどほどに日常に苦痛があったほうが人生に張り合いがあるかも。しょせんは甘い苦痛。甘い時点で苦痛でもない気がするけど。

そんな苦痛を自分に与えるからこそ、日常に何もないことを良いと思えるのでは。

我ながら言っていることが少し「おかしい」気はするんだけど、、意味のある実りある身になる苦痛を日々探している気がするこの頃です。

徒然草2.0
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