これには私見だが答えは出ている。
あからさまに思想を絡めたようなコンシューマーゲームではない…インディーズゲームでれば探せばあるだろうけど「面白くない」から流行らない。
それだけの話。私が面白いと思うものが世間には面白くないのだ。まあ、別にこれは自分の感性が一歩リードしているなんていう気はなくて…
「ゲームが教える世界の論点」という本によれば、ゲームは様々な社会問題を解決策を示しており、理想的な社会を提示するとあるので、クリエイターの想いがゲームに反映されていないわけではなさそうだ。
だから、もうすでに自分の最初の発言を否定するようだが、面白いゲームにも理想的社会を求めるある種の政治的な主張というか成分はふんだんに含まれているし、為政者がそれを今後は利用してくるだろう。
そういったことに善良な市民は警戒しておかないといけないんじゃないかな?とふと思った。
「ゲームが教える世界の論点」は面白そうだが読む時間がなかったので、暇な若い人たちに読んで欲しいなと思った。
あと最近は外山恒一の「政治活動入門」を読んだ。正統派インテリで善良なテロリスト。政見放送のイメージが消えないが、根は非常に真っ当な人なのだということが分かる。
「学問や芸術への転身は政治活動に”挫折”してからでも遅くはありません」「政治活動とは、状況を自らの”生きがたさ”を多少なりとも減らす方向で改変するために有効であるか、有効であるかもしれないと思われることを、実行に移すことです」というわけで戦後の日本が戦争状態であることを説く政治運動を薦める異色だが良著だった。
終始カロリーが変わらず全編が本気。全共闘あれこれの話に「興味がない」人でも楽しめること間違いない!逆に東大安田講堂事件を最後に左翼運動が収束していったという紋切り型の教科書的な解説なんて読むに値しない。
新左翼活動家の自覚を持って自らがどういう政治スタンスをとるべきなのか?明らかになるだろうから万人に薦めたい。
ちなみに、私はナショナリストの皮をかぶったアナキスト(であることを改めて自覚した)なので、ファシストにはならないが、この3つは場合によってはお互いに共闘し得る仲ではあるので、どこかで私が政治的な転向を果たす可能性は否定しない。資本主義・民主主義・自由主義が高度に(劣化した?)発展した?手塚治虫の火の鳥「未来編」のようになるのは目に見えていて、それを否定する運動だというのは一定は支持したい。コオロギを食べるくらいなら死んだほうがマシ(苦笑)
ちなみに私は哲学的に”理性”の存在を否定しており、そういう意味では真っ当ではないし、しかし真っ当ではないということが即ち危険思想を意味しない。
危険とは反社会性であって、反社会性以前のところで留保せざるを得ない。またナショナリズムの感性も否定したい。
ちなみに、外山恒一が「大杉栄は長生きしていればファシストになったはず」と言っていたが、私はそうは思わない。石原慎太郎が「三島由紀夫は政治家になりたかった」とか言っちゃうくらい無意味。
とりあえず、この書籍で知った人として、ジェリー・ルービン、向井隆、ネグリ「エチュード」あたりは読んでみようと思った。
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