サガのすすめ。圧倒的に種族の平等性が保たれている世界観

徒然草2.0

サガのシナリオですごいと思うのが、モンスターとかメカとか人間の区別がないことだと思う。

河津秋敏という人の思想なのだろうけど、これは子供ながらにすごいと思っていた。どっちかというと、昔のアニメは種族間の対立を描く話が多いけれど、サガにはそういうシーンがそんなにない。(まったく、ないといい切る自信はないのだが…)

この「異常な平等性」を見せられると、平等に扱われてていない作品を見ると、自分の中に拒絶反応を覚えることすら昔はあった。なぜ種族対立があるのか、がよくわからなくなる。異常な平等性を当たり前だと思うようになる、という逆転現象が起こる。異常っていうのはおかしいかもしれないので、非常に平等な世界でもかまわない。

例えば、ゲームボーイのRPGにしてサガシリーズ一番目の話である魔界闘士サガでは、たてのおうという人物なのかモンスターなのか不明だが、彼の悩みを聞いてあげなければならない。

たてのおうの悩みは、川の中にある村の一番の美人にプロポーズをしているが快い返事をもらえないことだ。

主人公はたてのおうの恋を成就させて彼が所持するキングの盾をもらわなければならないので、村一番の美人に話を聞きに行くと…その村はスライムが住む村で、村一番の美人はスライムだったという…。村一番の美人というから人だと思っていたので、この時点で美人がスライムだと思いこんでいた私は面食らう。

え?これが美人…?

当時は小学生低学年ぐらいだった私は、文脈が読み取れなかった。

「いやいや、そんなのRPGではよくありそうなシーンで別に珍しくない」例えば、MOTHERのどせいさんとか、いい味だしている不思議生物がいる村なんてよくある、と言うかもしれない。でも、サガは事情がちょっと違うと私は思う。この話にはまだ続きがある…

村一番の美人は盗賊の親玉に脅されて、たてのおうのプロポーズを拒否っていたので、盗賊の親玉をぶっ倒しめでたしめでたし。たてのおうと村一番の美人はめでたく結ばれましたとさ。

エンディングでは、たてのおうの子供も授かっており、ハッピーエンドで終わります。よろいのおうとつるぎのおうはしょうもないやつなので、たてのおうだけはいいやつでよかった!

ちなみに、SaGa1のパッケージにはスライムが主人公として書かれている。スライムは重要キャラである。

まあ、ここまでは何かの冗談だと思っていたが、第二作目のSaGa2秘宝伝説では、主人公にメカが選べるようになっている。普通に人間の子供としてメカやモンスターが育てられており、これからの時代を先取りした世界?が当たり前に描かれている。そして、子どもたちに教育をする先生がスライムである。村一番の美人がスライムってどういうこっちゃ?それを大真面目に展開されるので、これは、そのまま飲み込まないといけないことをプレーヤーとして悟ることになる。

ロボットと人間の区別はない、って話は昔からあるけど、それが対立のドラマにすらならず自然に平等に扱われて続けている世界観ってすごくないかい?

さらにSaGa3にはサイボーグ人間が出てくるが、少ししかプレーしたことがないので割愛するが…ロマサガをすっ飛ばして、サガフロではT-260というメカが主人公のお話も入っている。サガフロ全体に言えることだが、普通にメカが人間やモンスターと同列で世界で暮らしているが、プレーヤーに何の違和感も抱かせないところがすごい、すごすぎる。

メカが暴走してもメカが暴走しただけで、人とメカの戦いとか人とモンスターの戦いとか、そういうこととは完全に区別されている。妖魔という種族も出てくるが、彼等も同列に世界で生きている。種族のアイデンティティと種族間の対立関係はまったく関係がない。

そして、別に私が語っていることはサガのコンセプトでもなければ特別に特筆する点でもない「あらゆる種族が平和に暮らしていました」という説明も不要である。そんな説明が挿入された時点で、なにか物語全体が胡散臭くよくある話になるが、そういう点には一切ふれない。語らずに「見ればわかるでしょ」という状態をフラットな世界としてさらっと描けているというところが、端的にすごすぎると思うのだ。

もちろんこれらは、主張されることでもなければ、特筆する点でもないのかもしれない。つまり、取るに足らないことなのかもしれない。今一、自分でも自信がない。サガのいいところ=キャラの関係がとてもフラットな世界観

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