「死の直前、人が最も多く後悔する5つのこと | 要約の達人 from flier | ダイヤモンド・オンライン」労働によって寿命が縮まっている気がするわ…早く死んだら労働の賜物というべきか自分の心身が耐えられなかったんだな…ぐらいなことを思って死ぬのかな。これを見てもなんか新鮮味がないんですよね。以前は「そういうことを考えてしぬものか」自分とは違うなーという感じだったけど、これを読むと死に間際の人の心境が想像できる気がするので…なんというか死地に心が近づいてきたんだな。こんなことを言うのはあれだけど、自分の死は気楽だな。他人の死の方が考えてしまうものがある。
マリリン・モンローってそういえば36歳のときに精神不安底になってお亡くなりになったんだな。睡眠薬の服薬による自殺なのか違う理由なのか分からないが。飯島愛も36歳で亡くなったんだな。芥川龍之介も数え年で36歳に亡くなったんだ。この40歳という高台に至る少し前?富士五合目?人生の中継地点?よくわからないが、何らかの理由で死亡フラグが立ちやすくなる時期なのかもな。ここを堺にして、いつ死んでもおかしくなくなる年齢でもあるんだけど…その前にある岐路なんだろう。
男の厄年は42歳だから、男と女でちょっと違うかもしれないけど、36歳は、35歳や37歳にはない何かがある気がする。太宰治は39歳没だな。いずれにせよ、40前は、なんらかのターニングポイントなんだな。まだまだ若いと思っているが…40に片足を突っ込んでいる微妙な時期なのかもな。
若くして死ぬ人もいるけど、生命保険の死亡率もこのへんからぐんぐん上昇していく…そんなグラフをみたことがあるのが思い出される。無理をするというか、何か現世に不和があると、サクッと冥界へとお呼ばれされやすい時期なんだろう。
終身保険は無駄に感じて辞めてしまった。貯金でどうにかする。どうにかならないかもしれないけど、そういう場合は保険でもどうにかならない場合が多いので、生命保険にはほぼ入る意味がない。同様に年金も保険に過ぎないという意味では、低コストな金融証券を積み立てて収入減少を賄うのがいいと思う(年齢とともに利益が増える方には不要な人生戦略でしょうけど)。今まで若い頃に感じていた死生観ですが、20代と30代前半で命尽きると、道半ばで死ぬって感じだったけど、死に至るべくして死ぬ年齢に突入するという実感がある。
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で、表題の件からずいぶん逸れていますが…
自分が死ぬ間際に何に後悔するのか?というと…別に後悔しないですが、強いて言えば未来が見えないことの不安とか権利の喪失を恐怖するんだと思います。自分の周りの人はどれくらい生きて、一体どういう人生を歩むのか?ということが知れなくなることが、辛い。
逆に、それを知ることができるなら、なんだか一緒に生きている感じを共有できる気がします。時系列データが途絶えることが死であり、時系列データがあるならそのログを先取りできれば、もう生きていることと同じなんじゃないか?時間というのは現代から未来もしくは過去へ行き来する手がかかりに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれない。
言い換えれば死とは、未来のデータを得る権利を失うこと。それをサマリー形式のフォーマットで先取り取得できるなら、別に死んでもいいような気がします。
サマリーでいいから周りの人の人生と死んだ日が分かるならば、死んでもいい。
それが分かれば悲しむ必要もないような気がする。あ、みんな死ぬんだなってことが手の取るように分かる。俺は2057年に心筋梗塞で死ぬけど、お前は2072年まで生きてガンで死ぬ。あの人は2045年に不慮の事故で死ぬらしい。とか、分かってくると、わりと命ってどうでもいいな。wikipediaで故人の情報を読んでいる感覚で、サクサク他人の人生の時間を眺められる。
年寄りになると、そういう作業を進めている人がいる。同窓の◯◯ちゃんは何年前に死んだとか、お隣の◯◯さんは何歳で何年に行った…通夜が盛大だった…とか、そういうやつ。あれを先取りしたい。
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