根性とは、けして他人には強要ができないものだと思う

本田圭佑が教えたのは、サッカーではなく根性を教えたらしい???

根性ってなんだろう?「根性論」という言葉はおおよそネガティブな意味で使われる。根性を排除して、根性論や精神論に頼らない、指導をしよう教育をしようと一般的には言われている今日。

…しかし、一流のアスリートも「根性」が大切だと言う。

おおよそ、現代においては否定される「根性」

しかし、メンタルトレーニングという観点で精神を最高の状態に持っていく、または保つ方法の中で完全に根性なるものが捨て去られるものでもない(メンタルコントロールの方法論のメインはけして根性をもとにしたものではないだろうけど)気持ちのコントロールの中で、うまい具合に事を運び最高のパフォーマンスを出す場合にやはり「根性」なるものを無視できないと思われる。

歯を食いしばって時に取り組むその心の働きに「根性」と名付けて礼賛する人は、今もこれからもきっといるんだろう。本田が「根性」という古臭い言葉(?)を使って何を説明されたのか、それが私が考える「根性」と同じものかは定かではないが、本田が「根性」という言葉を使ったところが興味深い。

…それで前々から疑問に思うのだが「根性」とはなんだろうか。いまいち自分もこれといった定義がない。歯を食いしばって苦痛に耐えることを根性と上のセンテンスでは自分でいったものの、そんな根性だったら私はあまり好きじゃない(苦笑)

佐山聡もこの有名な動画の中で言っている。

( 佐山聡 地獄の合宿)これは暴力ではなく教育【English subtitles】Satoru Sayama Hell Training camp

05:20あたりから「優しすぎてもダメ、厳しすぎてもダメ。根性というものにも理論的なものがある。根性を科学的に分析してほしい」と言っている

シューティングの技術習得を通して、その精神を教えようとする教育者としての佐山聡。

悩みながら日々工夫をしながら、そして計算をして選手たちと向き合っている。

これには、非常に考えさせられる。

蹴りをしている青年にビンタしているところだけが、ネットではクローズアップされており、それだけ見ると佐山聡はただの鬼指導者みたいにしか見えないが、この動画を最後まで見るとまったく印象が変わってくる。

「選手も半分知っている」と言っているように、ただのスパルタ指導ではない。

根性を自ら感得して欲しいという佐山聡の指導方針は最初からはっきりしている。分かっていてもそういう環境に身を置いて鍛えて欲しいと考える。武道も格闘技も安全に配慮されたスポーツだ…というと「おいこらちょっと待て」と定義を疑う人がいるかもしれないけれど、武道、格闘技、スポーツこれらに共通するのは「擬似的な死闘」である。分別をつけて行うものなのは共通項。

分別が付けられる人ならわかるんだけど、そこの分別がつけられないひとが世の中には多い…非常に残念なことだ。擬似的な勝負で生きるために必要なものを身につける。その1つに根性があるんだと思う。そういう意味で根性は反復練習で身につけるものだということ。佐山聡自信もそれが強制されて得られるものではけしてなく、強要されたものがプロになり一流になるなんて無理だってことが良くわかっているんだろう。

まあでも自分だったら、その真意はともかく、佐山聡指導官を刺しているか、さっさと消えていると思うが^^;

根性とは自分で見つけて自分で用立てるもの

話をもどすと、この他人にやらされるか自分でえられるかという「根性」に関する区別は、非常に重要だと思う。他人に強要される「根性」なんてものはない。

「根性がない」なんて、他人の評価を気にして「根性」を持つなんていうのも、ちゃんちゃらおかしな話で、理論的に科学的に自分で得て自分で用立てるのが「根性」なのではないか。

少なくとも最近わたしはそんなふうに「根性」を捉えている。

心が折れてしまう人に強要はできないし、万人に「根性」を持てというのも

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