日記。メルヘンのサンドイッチ。

徒然草2.0

昨日、メルヘンのサンドイッチを食べた。ダッカルビとサーモン。うちの人曰く60年ぐらいの歴史があると言っていたが調べてみたところ40年の歴史(創業1982年)だった。まあまあ嘘だった。

養老孟司の話」学習とは脳に対する入出力である。ここまではいい。陽明学の知行合一は文(入力)武(出力)を分けたからダメ(?)ちょっと言っている意味が分からない。心即理で説明したほうがいいような。「東京は自然がなく健全な入出力がないから子どもの学習ができない。学校への登校には30分ぐらいかけたほうがいい」という話。まあ、半分ぐらいは共感する。通学路が近すぎるとハプニングが少なく外部刺激が少なすぎる。ただ、一体どれくらいそれによって影響度があるのか?科学的データでもあるのだろうか。例えば、通学が5分の子どもと30分の子どもで成績の良し悪しを見た場合に因果関係が現れるのか?

『自己肯定感の呪縛』という本を読んだ。自己啓発に否定的な人の間ではよく言われることだが、いくら自分を褒めて自己肯定感を高めたところで実が伴わなければギャップ(現実の自分は見窄らしいと感じてしまう)に苦しむのあえて盛り上げないほうがいいという人がいる。また、メンタルは生まれつきのものという人もいる。私はメンタルを強くするにはもっと別のアプローチがあるはずだと思っているが。

映画『ザ・ファブル』を見た。これ漫画を見てない人良く分からんのでは…という懸念はあるが中々いいできばえ。伝説の殺し屋が日常生活に戻ることをめざして敵味方も含め不殺を貫く。

ファッションセンターしまむらへはじめていった。安くていい。これまで偏見があって行ったことがなかったが、見栄をはらずこれ着て生きていればいいやと思った。

転生願望。腹痛とか諸々。身体の調子が悪いと、ふと意識が立ち消えて、別の世界の別の誰かになれればいいのに。と思ったりする。魂というものの実在を理論的に信じていなくとも、ふとそれくらいたやすくできるのでは?と思っていたりもする。矛盾しているが、矛盾があっても駆動するからこそ、人は生きていると言えるのかもしれないと逆説的なことを考えてみたりもする。たぶん、すべてここで語っていることは間違っていると思うけど。宗教で人間が転生するということを教主さまが信者に説くのはニーズがあるから。すなわち需要があるから…と言う人がいるが、違うんじゃないかと思う。もっと根源的に肉体が壊れたら自己が他者になれればいいのにと想う願望が根源的にあるのでは。まあ「そんなふうには思わない」と誰かに言われたら普遍法則じゃないんだけど。自己と他者が未文化であれば、認識的には自他同一である。生命に対して、ある種の確信を持つことができれば、それが客観的にまたは他者から見て間違っていても自己認識においては真実になってしまうことを踏まえてしまえば、その心理を誰も否定できない。←このことをちゃんと知っておくと、無駄なことに悩まなくてよくなるかもしれない。私がエマソンやカントに実があると思って勉強しているのもそのためだ。

横浜くりこ庵のたい焼きをお土産に実家に帰ったが、自分の分を買い忘れた。あんこがめっちゃ入っていてすごい美味しそうだった。けっこう関東全域に店があるので、こんどは自分のために買おう。普通の小倉餡に加えてワンランク上のこし餡があった(よくWebページを見てみたらクリがはいっているからくりこ庵なんだね)がどっちも食べたい。あんこ好きとしては、たいやきは割高で饅頭のほうがコスパがいいと思ってしまうが、このたい焼きのボリューミさには惹かれるものがある。というか他人が食べているのを見ると食べなくならずにはいられないところがある。

大池自然公園の「とりでの森」が新しくなっていた…私が小学生あがるまえは全部が木でできていて少ししょぼかったんですよ…で、その後に大改修があって小学生の頃には角張った感じのになって、それから今の円運動を取り入れたものに変わった…幼児向けになった。とはいえ急にボルダリングの斜面でてくるので幼稚園児にはちょいきつい。あと、おっさんにもちょいきつい。。。今の「とりでの森」は私の視点からすると第三世代の「とりでの森」です。まあ、第一世代のとりでの森はあんまり覚えていないのですが…どこかに写真ないかな?(見つからない)”とりで”って響きがいいですね。あと「砦」って漢字はかっこいいですよね。砦と城の定義の違いがよくわかりませんが、砦に住みたいですよね。砦のボスとかになりたいです。

徒然草2.0
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