戯言。新しさは価値観を入れ替えなきゃいけないわけだけど、それって年寄りには辛くないすか、というか無理では。という話。

徒然草2.0

今回は珍しく最初から本題に入ります。

というかただのポエムですが。。。

「若い時にカッコいいと思っていた服を捨てておっさんの服を着る」ことを一般的な人は行いますよね。

で、中には「若い時にカッコいいと思っていた服を捨てずに着る」人もいますね。

まあ、むかしから好きなのが続いているのでしょう。とても、いいことですね。ミニスカはいている見た目がおばあさん、、、まあいいじゃないですか。人の好きは自由であっていい。多様性万歳。

でもね、貴方がおっさんだとして「若者がカッコいいと思っている服を着ろ」と言われたらどうしますか?価値観の押しつけになってしまいますが、これはストレスがあるのでは。。。

まあ、服のサイズが合えば着れないことはないでしょうけど、おっさんなのになんで若者の服を着ているんだ?ってなりますよね。ようは、何がいいたいのかというと、自然に自分の価値観が変わることや昔のままの価値観でいられることは心地良けど、新しい価値観を受け入れるって難しいよね。ということだけです。まあこれは極端ですけど技術についても言ってしまえば、洋服とわりと同じものだと思いまして。ことプログラマに至っても若者と渡り合うためには、新しい技術を若者と一緒の目線で学べなければいけないという人もいます。

…そりゃあ、そうでしょう。

上から目線のおじさんの話はあまり私も聞きたくありません。的を射た発言ならば構いませんが昔取った杵柄で、今通用しなかったら微妙です。いずれにしたって昔の価値観を引きずっていたらずーっと話を聞いているのも嫌になるというもの。別に特定の誰かに言っているわけじゃなくて、おじさんとしての戒めとして自分に言っているだけですよ。

で、今は今の価値観がある。昔は昔の価値観というものがあります。不変的なものもあるけれど、変わりゆくものもある。早い話が価値観を合わせるなんてどだい無理ですよ。おっさんは新しいものを学べる能力が低いとか記憶力が弱いとか色々と身につきわけですけど、これって言い換えれば価値観が変わらないんだと思います。

年をとっても考えが若い人とか、好奇心が旺盛な人はいますけど、若者の価値観になっちゃいました!みたいな老人っていないじゃないですか。120歳まで生きる老人がまずいないわけで、多分この世にそんな人はいないということなのでしょう。

無理やり考え方を変えて価値観をチューニングすることも、なんだろう?擬似的に?年齢に関係なくできないわけじゃないけど、無意識で「変える必要あるの?」と思ってしまうんじゃないか。心が拒絶して価値観変容しにくいというか、しないんじゃないか。老人の良いところって価値観の上書きが起こらないところなわけで、軸がブレなくなるところなのに。そこをぶっ壊せっていうのは酷ですら思う。まあ、行き過ぎればただの頑固者なんですが。

つーわけで、変化の激しい時代に変化を以て打ち返すのは、今も昔も変わらないわけですけど、自分の価値観が変わらない部分も40近くなるとあるのよね。なんてことを、ふと思ったりしています。

新しい価値観を受け入れられない老人の愚痴でした。これからもこんなぼやきを死ぬまでやるのかな。困ったね。

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