戯言。グランドデザインがない日本国民に日本の未来なんて描けるわけがない…愛国心の持ち方

徒然草2.0

ちょっとそこの日本人さーん。ええ、あなたです。この記事を見ているあなたです。日本人でなかったら軽く無視して結構ですが…「将来の日本をどうしたいですか?」と言われてマイク向けられたら回答ができる自信ありますか?

私はありません。煽っておいて何ですけれど日本が…10年後、30年後、50年後、100年後、どうなっているべきか?のイメージが沸いていますか?想像してみてください。どういう日本が良いだろうか?と。たぶん、誰も答えられないのではないでしょうか。

私も引退して年金もらえているかなあ?ぐらいしか考えていません。すみません。

…考えてみれば、それが日本人の欠点なのだと思います。日本は世界でどうあるべきかという狂気にちかいものでも穏便なものでもかまわないのですが、確かなイメージを持っている人が今どれくらいいるか。その総量が未来を形作る原料になるのではないでしょうか。てことはその原料を提供する人間にならないのだといけないのだと思います。

…最近は、愛国心2.0というものを構想しようとしておりまして、じゃあ日本のどこから愛せばいいのだろう?てなことを考えていました。昔は愛国なんて胡散臭いと思っていました。手塚治虫のアドルフに告ぐとかをいっぱい読みまくっていたからかもしれません。日本を解体することが正義だと思っている面もあります。ただ、今もあまりそれは変わらないのかもしれません。自然に解体しなければ愛国1.0が愛国2.0にグレードアップしません。愛国3.0や愛国4.0というのもまた過去を否定しないと進みません。

ちなみに愛国の愛する対象はなんでしょうか。歴史?物理的ななにか?(富士山とか?)まあ、何でも良い気がします。人によって好きな概念・りラベリングされた事物や感性やなにかを愛せばいいでしょう。

…ただ、梶原一騎の原稿用紙に「愛は戦いだ」と書いていたのをどこかで見ました。

その中身は分かりませんが、おそらく現代においても過去においても愛国心とは非愛国心に対する対立関係なのでしょう。非合理的な面もあるのかもしれませんが、例えばネトウヨと呼ばれるカテゴリの人達が愛国になるのも、きっと何かから戦うためなのでしょう。なにもないよりあるほうがまし…そう思った時に何かを愛したくなるのかもしれません。

だから、愛することは戦いなのであり、愛することに、また理由はいりません。

徒然草2.0
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