雑思想史。古代ギリシャの哲学(まとめ)

徒然草2.0

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源流思想について

昔の人々が考えを持って考えはじめた時の亜流ではなく本流の思想を源流思想と言うらしい。おそらく教科書的な用語であろう。具体的には、古代ギリシャ哲学、キリスト教、古代中国の思想、イスラームの思想。古代インドの思想。ヘブライの思想などのことを指す。なお、日本の思想は含まれていない。

古代ギリシャ哲学について

紀元前8世紀にギリシャでは城壁で囲われたポリスと呼ばれる都市国家ができた。ポリスでは一定の資格を持つ成人男性が市民として認められ、女や子どもや奴隷は市民に認められなかった。ギリシャ神話(ミュトス)により人間の運命(モイラ)や宇宙・秩序(コスモス)などの自然(ピュシス)が語られた。ホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』ヘシオドス『神統記』が著名である。自然に翻弄される悲劇的な人間観が描かれている。奴隷に仕事を任せることで閑暇(スコレー)を手に入れた。万物の根源(アルケー)を探求した思想家を自然哲学者という。タレスは万物の根源を「水」と考えた。アナクシマンドロスは「無限なるもの(ト・アベイロン)」と考えた。アナクシメネスは「空気」と考えた。ピタゴラスは万物の根源を「数」として、数の比例関係により説明できると考えた。なお、ピタゴラス教団の戒律を守らない者は殺された。ヒッパソスは無理数を発見したためピタゴラス教団に海に沈められた。ヘラクレイトスは万物の根源を「火」とした。また「万物は流転する(パンタ・レイ)」と言った。パルメニデスは「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」と述べて存在について語った。ゼノンは「アキレスと亀」「飛ぶ矢」などのパラドックスを語った。エンペドクレスはアルケーを4元素(土・水・火・風)と考えた。デモクリトスは万物の根源を分割できない物(原子=アトム)として「原子論」を説いた。

理性的に物事を捉えることを観想(テオリア)といった。神話(ミュトス)よりも理性(ロゴス)が求められた。神話的な世界ではなく合理的な世界をポリス市民は求めた。自然(ピュシス)よりも法律・制度・習慣・道徳などの人が作った人為(ノモス)が求められた。やがて知者(ソフィスト)と呼ばれる講師業が生まれた。ポリス市民は弁論術(レトリケー)を重視した。プロタゴラスは万物の尺度は人間である=人間中心主義を説き、真理の物差しは人それぞれ=相対的真理を説いて絶対的真理を否定した。逆にギリシャの三大哲学者は絶対的真理を探求した。

ソクラテス

ソクラテスは「ただ生きる」だけではなく「善く生きる」ために知を愛する(フィロソフィア)が大切だと考えた。すべての事物に徳(アレテー)があり、人間の徳は魂(プシュケー)への配慮を怠らず「善く生きる」ことだと説いた。善く生きることで幸福(エウダイモニア)になると説いた。

40歳の時にアポロン神殿で「ソクラテス以上の知者はいない」という信託を受けた。思い込み(ドクサ)を捨てる必要があると考え、問答法(ディアレクティケー)や対話(ディアロゴス)を通じてソフィストたちと話をしたが、ソフィストや政治家の恨みを買い投獄され死刑宣告をされた。

友人らに助命の策を図られるもその申し出を断わって「悪法もまた法なり」と述べて毒杯を飲んで亡くなった。

プラトン

ソクラテスの弟子として師匠についての本を書いた『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』など。世界の事物は永遠不滅の本質や真の実在を意味するイデアであると説いた。理性で捉えるイデア界と感覚で捉える現象界という二元論的な世界観を唱えた。イデアを想起(アナムネーシス)できると考えた。またそれを求める恋や愛をエロースと呼んだ。

人間の魂は理性と気概そして欲望の3つからなると考えた。理性は善のイデアを認識する「知恵の徳」を、気概は「勇気の徳」を欲望は制御する「節制の徳」を持ち調和させることが魂の正しいあり方として「正義の徳」が実現すると説いて「四元徳」と呼び師ソクラテスが唱えた「善く生きる」ことを理論化して国家論として応用しようと考えた。

哲学者が王様となる理想主義的な哲人政治を行う国家の実現を考えた。40歳になると学園アカデメイアを開いた。80歳で亡くなるまで『国家』を執筆した。

アリストテレス

プラトンが開設した学園アカデメイアの生徒。理想主義のソクラテスに対して、現実主義の思想を展開。イデアは個々の事物の素材=質料(ヒュレー)に形相(エイドス)として内在しており、個々の事物は真の実在だと説いた。質料に潜む形相への可能性(デュナミス)が実現化された状態(エネルゲイア)になり人間も例外ではないと説いた。質料因と形相因の他に人間の行動の出発点を始動因、その目的を目的因と呼び四原因説を唱えた。

人間の生活を、快楽を求める「享楽的生活」、名声を求める「政治的生活」、富を求める「蓄財的生活」、真理を求める「観想的生活」の4つに分類し、観想的生活を送ることが人間の幸福であり最高善だと考えた。観想的生活を送るために理性を働かせ徳を備えなければならないと説いた。知恵や思慮(フロネーシス)などの「知性的徳」と習慣的に形成される正義などの「倫理的徳」とに区別した。中庸(メソテース)を習慣付けすることが必要だと説いた。

アリストテレスは「人間はポリス的動物(社会的動物)である」と言った。人は社会や国家から離れて生きられないと考えた。正義と友愛(フィリア)を持って生きることを説いた。

正義には時と場所を超えて成立する「全体的正義」と特定の場面で成立する「部分的正義」があるとした。部分的正義には能力や業績に応じて報酬を与える「配分的正義」と人の利害や損得を調和させる「調和的正義」を区別した。

アリストテレスは若い頃はプラトンに学び、40歳からはマケドニアでアレクサンドロス大王になる王子の教師団に加わった。そして学園リュケイオンを創設した。リュケイオンの学徒は屋根付きの回廊を散歩しながら議論していたので逍遥学派(しょうようがくは)と呼ばれた。逍遥(ペリパトス)とはそぞろ歩きや散歩という意味がある。

『形而上学(メタフィジカ)』『ニコマコス論理学』『政治学』『自然学』などの本を残した。様々な学問を幅広く研究したので「万学の祖」と呼ばれる。

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