日記|-196

徒然草2.0

・このごろ月の観察をしていてようやく新月から満月に至ろうとしている。夜9時前後に屋外を見るとまったくないのに、夜6時ぐらいには南の空に輝いているの何でだろう。新月から3日たった三日月って都内では暗くてほぼ見えないのなんでだろう。位置を正確に把握するために6分儀みたいなものが欲しくなるが5万円ぐらいするの何でだろう。星って調べてみると無駄に好奇心が唆るの何でだろう。田舎で天体観測を趣味にしても暇つぶしにはいいかもしれないけど、虫とか熱さ寒さを考えるとコストが掛かりそうだな。あとは望遠鏡とかコリだすと財布が軽くなりそうだ。月ごとき観察だが日常の中で日々観察していると色々なことに気がつく。特に自分の計画の甘さや知識不足に気づくことができて、科学実験と呼べるものかは定かではないが非常に得るものがあるのだが、子どもの自由研究という意味では何も収穫がない、というかひとりで星空を眺めている次第。

・日曜日に市民プールで6時間ぐらい泳いだり歩いたりプカプカ浮いていたりしたせいで翌日まで喉の乾きと異常な食欲があった。全身、体にオーラがでているのではないか?と思うような奇妙な疲労感のようなエネルギーのようなものを感じる。ただ筋肉が腫れているだけなのかもしれないが、水泳とは特殊な運動で体にいいのか悪いのかよくわからない。週2~3で徹底的に通えたら痩せそうではある。いや、食欲がましてしまうから、そんな都合よくいかないか。

・ものは試しにSUNTORYの缶チューハイ「-196」のシリーズを買ってみた。-196℃で果実を凍結したとのことだが、果汁1%で違いが分かるはずもないのに、向いのホーム、路地裏の中、こんなところにいるはずもないのに。

・なぜ私は小説に興味がないのか?今ではただ「嫌い」と言って済ませるようになったが、それでも体力が落ちてきた今、小説に手を出そうとするのは、ポケットに銭もなく、人生の時間を持て余しているからにすぎないのではないか。

ひとつ確かなのは、小説の文章構造を汲み取るという“作業”そのものが、私には苦痛なのだということだ。「チャタレイ夫人の恋人」的な、“性愛を通して全体性を回復する”というような展開をもつ小説を読もうとしているが、そんな場所を今さら漁ってみたところで、何も見つかるはずもない。──向かいのホーム、路地裏の中、こんなところにいるはずもないのに。

それでも、小説の発展史、進歩史を知りたいという知的欲求のためだと嘯きつつ、本当は、自分の中にある性的なうずきが何らかの形で方向づけられ、解消されることを期待しているのだ。そうでなければ、文学がリアルになるはずがないことも、よく分かっている。

小説は、それ自体がメタ認識の向上を目的に書かれるようになっている時点で、すでに誰かの再生産に過ぎない。他人の体験なのか、それとも売文屋のレトリックなのかはさておき、それを自分の中で“再生産”してしまうことで一体なにが嬉しいのだろう。その行為から何かを得よう、発見しようなんて、烏滸がましいにも程がある…なのに、そんなふうに批判しながら、結局なぜ読もうとしているのか?という堂々巡りに陥ってしまう。

40歳でノルウェーの森を借りるのは生き遅れたみたいで恥ずかしいが、10代でノルウェーの森を借りるのは早熟な漢字で恥ずかしいし、

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました