現代の日本人は、必ずしも「侍の子孫」というわけではない。
そう考えると「日本人の子孫」という言い方そのものにも、どれほどの意味があるのだろうか。
近年「自分はどういうアイデンティティを持つのか」を気にする人が増えているように思う。しかし、わたしたちが「誰から生まれて、誰に育てられたか」という事実と、「自分がどう生きるか」という実際の生き方との間に、強い因果関係はあるのだろうか。
むしろ多くの場合、それは後付けに近いのではないか。
結局のところ、ルーツ探しというのは「自分はどういう人物か」を他人に語りたいがために行う営みにすぎないのではないかとも思う。
もしそうなら、「歴史を自分の祖先が辿った道としてそのまま受け入れる」ことも、どこまで正当性があるのか怪しくなる。
人類が経験した歴史から学び、それを未来への教訓とするという意味なら理解できる。しかし「我々は侍政権=幕府のもとで天皇を支えた臣民の子孫である」「ゆえに天皇のために生き、侍として忠義を尽くすべきだ」と言い出すと、アイデンティティのルーツを追い求めるあまり現実から乖離してしまう。
仮にそれが家系図的に事実だったとしても、その人物と自分自身との間に、どれだけの意味があるのだろうか。
不思議なことに、この疑問を真剣に考える人はあまり多くない。
祖父母や親がどのような人物であったかが、現代の自分の社会的立ち位置を決めると信じたい人は少なくないし、とくに上流階級ではその感覚が根強い。
そして、それを支持する人々も現に存在している。
だからこそ、この手の議論を持ちかけても、本気で向き合う人は多くないのだろう。
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