悪夢なのか、それとももう一つの歩まなかった人生なのか。
夜になると、自分の意志とは関係なく、後悔や失敗が頭の中を勝手に流れ始める。そのまま眠りに落ちると、たいてい嫌な夢を見る。まあ視点を変えれば、古き良き時代のノスタルジーに見えなくもないのだが。
よく分からない、古ぼけた教室。いるのは出来の悪い男子ばかりだ。どうやらどこかの男子校らしい。出来が悪いと言ったが、自分もその中の一員だ。関数電卓とヘッドセットを組み合わせたような奇妙な機械を操作するテストを受けているのだが、これがまったくどう扱えばいいのか分からない。休み時間になると、悪たれ同級生が「テストどうだった?」と聞いてくる。「さっぱりだ」と肩をすくめるジェスチャーで返す。
頭が悪かったから、こんな工業高校にしか入れなかったんだな、と後悔とも諦念ともつかない感情が湧く。同時に、人生ってこんなものでしかないんだな、という必然を受け入れてしまう。むかつくから、あとでボクシングごっこであいつをぶん殴ってやろう。――先生が来ないように見張ってろよ。ていうか、その動画、絶対にXに流すな。ただでさえ俺の人生は詰んでいるんだから。ブルーハーツのTRAIN-TRAINが頭の中で流れている。後ろめたさを感じながら、更に弱いものを叩くしかなかった。
場面が変わる。古ぼけた町工場の事務室のような場所だ。老若男女が密集して狭い机に向かって働いている。就業の鐘が鳴ったが、まだ後片付けというか、操作のよく分からない関数電卓とヘッドセットのマニュアルを開いて自己学習をしている。ああ、俺はまだこの機械をうまく使えないのか。それなのによく就職できたものだ。ありがたさと、くだらなさが同時に込み上げてくる。
皆、昭和の時代の制服姿で、これまた野暮ったい髪型だ。失礼かもしれないが、1980年代の人間なんてそんなものだろう。自分の姿は見えないが、きっと同じような印象なのだろう。俺に気があるのかどうかは知らないが、帰り支度をしながら、彼女は後ろの席にいる俺の存在を気にしている。そこへ、まるで空気を読まない先輩風を吹かせた四十過ぎのおじさんが、ニコニコしながら話しかけてくる。ありがたいような、迷惑なような。でもそれが当たり前なのだろう。
しんどい職場だと思う。だが、どこか懐かしく、温かい場所なのかもしれない。これはこれで、ある意味では理想的な職場というやつなのだろうか。しかし、今の自分には、そんな場所すらないのだな。
サカナクションの「新宝島」が流れている。見ているときも、目覚めたときも、嫌な夢だなと思った。けれど同時に、今の自分には、この嫌な夢のような時間――昭和の職場ですら与えられていないのだな、と冷笑せざるをえなかった。分かってはいたが、今はさみしい時代だ。自分がそう見ているだけだと言えば、それまでなのだが。
東大全共闘VS三島由紀夫の映像を、現代の若者に見せている教師らしき人物が、Xで何かつぶやいている。当時の若者はよく考えてものを喋っていた、という感想が出るが、その教師は不服らしい。マルクスやヘーゲルの借り物の言葉を組み合わせ、情熱を語っているようで、実のところ何も語り得ていない――それなのに、そこに価値を見出してしまうこと自体が問題なのだ、と彼は思っているようだ。現代の若者は、そうした言葉遊びすらできないのだ、と。
それでも、何かを語ろうとした痕跡が残っているだけ、まだましなのではないだろうか。まあ誰も言わないが、同時に三島由紀夫もまた「空っぽ」なのだが。そのことは、リプライでは語られていなかったようだ。今さら何も言うまいが。
表象。英語で言えばレプレゼンテーション。自分の中に取り込んだものを、別の形として外に出すこと、あるいはその概念そのもの。現実と表象は、常に乖離していく。
「それは表象に過ぎないではないか!」
相手の思想を切り捨てるには便利な言葉だが、両刃の剣で、自分にも同じ刃が返ってくる仕様になっている。そんな昭和の表象に過ぎないものが、延々と再生産され続けるのは勘弁してほしい。

コメント