記事タイトルに書いた通り、PHPというスクリプト言語を書くお仕事に関係なく、サラリーマンというか1馬力でやらないといけない仕事に従事しているすべての人に言えることではあるのですが…サラリーマンでphpをゴリゴリ書いて貰える年収の上限って、たぶんMAX700万円前後がせいぜいだと思っています。
PHP系の求人を見ていると、360~700万円とか、450~600万円とか、そういうのが多いのでたぶんそうなのでしょう。
もっと高い技術があったらPHPって言語を選ばないって!ってことにはなりますが、それはそれとして、話の本質ではないのでここではなしにします。フロントエンドの言語ができるとか別の能力があればもうちょっと増えるとかも今回の話としては意味がないのでなしにします。
私がわりと長年付き合ってきたphpのエンジニアで行ける年収って700万円ですし、何か別の特殊能力が認められないと800万円はふつうの企業の給与テーブルでは超えてこない気がします。
年収が低い業界数年の20~30代の人からすると嬉しい数字かもしれませんが、800万円、900万円、1000万円以上と給料がお高い、プロマネ、アーキテクト、コンサルタント、経営者や役員の方々の年収と比べてしまうと、やはり着ているものから食べているものとかの生活の質が変わってきます。
大きな企業や外資系で質の高い案件にアサインされていれば、もう少し年収は上がるのかもしれませんが、それでふと「これでいいのかな?」という気持ちになると思います。30代はやければ20代で頭が見えてしまうと複雑な気持ちになる。少なくとも私はそうなりました。
上を目指せばきりがないので現在の自分に満足するというのも大切ですし、より高いキャリアと年収とかライフワークバランスとか色々なものを天秤にかけてみて何を選ぶかとか取捨選択しないといけなかったりする。とはいえ、現状に満足したら成長はないが、かといって何か新しいことをしてそれを飯の種にするのが得意な人が、世の中のマジョリティではないでしょう(私を含め)なんだか新天地でやりたいことやって社会貢献できればいいのに!とふわふわした気持ちでいると、なーんだ無職なのに何かやってやりたいしでかしたい夢想家と私は何も変わっていないんだナ、とあらためて自分を発見する。
これが人生、これが世の中だと、割り切れないのであれこれ考え続けて居る。
昔はとりあえず日銭が稼げて飯が食えればいいと思っていたのに欲が出て、もっと儲かる商売に就いたらもっと世間体がいいのにナと思って自分は無理なので子どもにそれを押し付けたくなったりする。そんな親嫌だナと思うところもあって口には出さない。どこかくだらない考えを持つ大人になったものだと思っている節があって、世間では黙っている。でもまあみんな似たようなものだ。
プログラマにしても需要と供給でコストが決まる、米国のITエンジニアの給与は日本と比べて相対的に高く景気がよく見えてしまう。
加えて自分の欲がでる。英語ができてもう少し器用ならば8桁になるのになと思う一方で、今の生活を捨ててまで飛び込みたい気持ちも正直なところない。そしてこれは言い訳でもあるけど、新しい世界に飛び込んだ結果それで満足するか?というと満足していない自分がいることは想像に難くない。
年収1500万円になったら、年収3000万円の道をなぜ選ばなかったのかな?ってなるのが人間だと思う。金額だけ見ているからそうなのかもしれないので、視点はそこじゃない。自分の幸せが得られればいいじゃないか!というフレーズを真理だと思おうと心に決める。年収800万円以上になっても幸福度は変わらないじゃないか!という客観的なデータを出してきて自分を納得しようと謀を企てる。
…まあ、だいたい自分の心を納めるなんて上手くいかないんだけども。
若い頃、自分はどう考えていたっけ?というところに戻ると…「とりあえず生活ができて、自分が好きなことができればそれでいい」じゃなかったっけ?年収300万円、いやそれ以下でも別に構わない。
それよりも心がフリーで穏やかな方が良い。けど、なんか違うなーと思っている。
この「けど、なんか違うなー」が無くなれば、もう少し幸せになれると思う。多分歳を取ると少しそれが無くなって幸せになれるんだと思うけど、それってただの老化だし、今その姿を肯定しちゃうのは問題ということで人間って「ままならぬ」ものだなと思う。
「すきなことができればそれでいい」が昔よりはできているはずなのに、そんなに満足していない。
満足していないソクラテス(By ジョン・ミル)になるべだと思っていたのでいいのかもしれないけど。なんか違う。
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