論語の「性相近く習い相遠し」の意味は、人は生まれつきの性質は変わらないが、
学ぶことで違うものになれるという意味で、学問を学ぶことの大切さを説いている。
たしかに赤ちゃんはどれも似たようなものだし、後から身につけたもので修めるわけだ。
でも、端的に言ってしまえば、人の性質は生まれつき決まっているところがある。
顔の良さとか得意な分野は決まっている。努力の差が未来の明暗を分ける。
その人がかけた時間が学問を使えるものにする条件ではないからだ。
将来の姿が努力の差だけでは埋まらない部分もある。
これに対して論語には以下のような言葉もある。
「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」の意味は、
「ただ知っているよりも好きであることがよくて、それより楽しんでいることがよい」
みたいなニュアンスらしい。
これって、必ずしもその努力をした分野で成果を出しているという話ではないのかもしれないが、
楽しんでいることが優れているということではないんだよね。
まあ、成果はともかく楽しんでやれているのがいいことは間違いない。
つまらないまま色々なものごとを進めてもどこかで行き詰まる気がする。
やっぱり論語は”深い”のかもしれない。
普遍的な知性というより自分自身の心と向き合う教えという意味では、
正しい気がする。科学の正しさとはそもそも目線が異なる正しさというか。
結局のところ人は論語に戻ってきたくなる。
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