本来は市場とは関係ないところで芸術は生まれるのではないだろうか。しかし、結局のところは市場にその芸術作品が組み込まれて価値が評価されるので経済・市場と結局は表裏一体の産物なものが芸術であるとすれば、そんな芸術なんかクソ食らえだ…などというのは、売れないものしか作れない人間の虚しい遠吠えなのだろうか。(そんなことはないと思うが)他人の評価から離れて、キャンバスに絵の具をぶつけるでも、玩具の積み木を思いの外に積み上げるでも、いいではないか。玩具の積み木はせいぜいクラフトか?まあ解釈は、好きにしろ。誰にも評価されないものを作るのか、やがて社会が評価するだろうという目算を持って賭けるのか知らないけれど、そんなことを考えるあたりからして…クソ食らえだって気持ちになる…下品で恐縮ですが。
「このままでは、日本で芸術文化は育たない。 アーティストが食べていける社会、必要なしくみとはー | OSIRO」海外ではアーティストが活動していくインフラがあるが日本にはないのでアーティストは食っていく仕事をしながら制作しなければならない…それが当たり前になっている。そこに限界が訪れようとしている気がする。ベーシックインカムが導入されれば、何よりアーティストとしての活動を優先したい人の制作活動はしやすくなることは間違いないと思う。貧乏しながら新しい芸術が生まれたなどという語り草は聞かなくなるかもしれないけれど。
芸術が評価される価値の熱力がお金に還元されるのは仕方がない面もあるのだろうけど、なんだか自分はそういう意味の芸術なら距離を起きたいかなあ、と思う。本来の同人誌みたいな。読みたい人が原稿用紙とインク代のたしになる小銭を払う、的な。そういうほうが好きだ。
小金持ちを含むお金持ちな人の唱えるベーシックインカムってどこか貧困層とは独立して語られている気がして、あまりその手の話を読むと「違うんだよな」という気がする。語られている解決される貧困のコンテキストは確かに貧困を指ししているに違いないのだけど、自分の頭の中では乖離しているみたいな感覚的な話。お金持ちのあんさんが語るのか…と。だからと言って清貧というか慎ましく生きることを語るリーダーを支持すればいいのかと言えば”違う”のが難しいところではある。
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