若い頃、嫌なことが目の前に迫ってくると「なるようにしかならない」と心のなかでつぶやいた。
結果が失敗であってもひどく傷つかないように、だいたいうまく行かないのはわかっているにせよ、いずれにしても分からない未来に一喜一憂せず肝がすわった自分がいることで安心を得たかった。
そのための「なるようにしかならない」だったのだが、最近はどうか?
何かやったところで結果はかわらない。
人生の運命はおおよそ決まっている。
計画をして準備をして努力をして、そうやって素晴らしい結果を得る人もいるが…どうも自分の人生はどこからか分からないが、たぶん生まれた時からだと思う。
決定論や遺伝の話はあまり好きじゃないけど、もともと今の自分が今ここに立ちすくんでいるのは必然だったのではないだろうか?という意味の「なるようにしかならない」になっている。
その結果が現在であり、そしてこれからも「なるようにしかならない」のだろう。
諦めに似た達観とでも呼べば自分の過去を美化している気がしている気がするが、老人と若者の「なるようにしかならない」だ。とふと思った。
昔はサイコロをふる前はどの目が出るかワクワクしていたいのに、今ではサイコロは1から6までしかでないことが極めて退屈であることを知っている。
別に老人になったと嘆きたいわけじゃないし嘆く意味はない。
周りにガキっぽいと言われても、未知の未来がある方を選びたいものだ。
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