山折哲雄という人の本に”消化器系の病は人間という荷物の重さ、に対して、循環器系の病は人間存在の軽さを絵に描いたようだ”ということが書かれていた。
何の気無しに借りたこの人の晩年の本が当たりだったみたい。
魂が飛んでいくとか、天に向かうとか、そういう感覚は循環器系の疾患によってもたらされるものだということを最近あまり感じていないが…そんな感じかなあ。
最近、その手の現象は私の体にはないので忘れてしまっているが、昔そういうふわふわした感じの中にいて心地よかったのを思い出した。
徳川家康じゃあないけれど、荷物を背負って人生を歩いている。というほど、責任とか普段感じているわけじゃないけど。体調不良というと、物理的にも精神的にも重いものだという感じのほうを思い出す。
うつ状態にも色々あって、それが極まると「地球の重力が自分の身の回りだけ変わったのではないか?」と感じたかと思いきや「急に光の中や穴に飛ばされたりする」こともあったわけだけど、最近そういうことはあまりない。いい意味で安定しているが退屈だ。ただ体が単純に重いだけ。つまらない。
消化器系の重さから、循環器系の軽さに、術式反転できたらいいのにな。重さのベクトルを180度くるりと変えれば反対になるはずで、えいや!と気合いで回せませんかね?
クスリをつかってトリップするという願望は、有る種この現世に生き辛さを感じている人類の皆々が、己の人生の重さから逃れる手段として極めて短絡的に思い浮かぶことなんじゃあないだろうかと思うわけだけど、クスリなんて一過性でコスパが悪すぎるし確実な手段じゃないから、自力本願で修行するぞ!じゃないけど、苦しい手段を見つけて身を投じてみる。
…けども、苦しいことをやることで、けして救済にはならないわけで、結局のところ現実は変わらないわけで、まあそれを安定って言うんですけど。安定っていうのは重いもの背負っているから風で飛ばないだけでね、それは当たり前ですよ。
重いもの手放して太空を舞う方法があればいいんだけど、思いつかない。
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