売上が100億円ある会社の社長に、お前の会社はちっぽけだな…みたいなことを言われたことがある。確かに1000分の1の売上しか無い。自分は、心の中で、こう考えることにしている。自分のことは棚において「この人の会社もマイクロソフト(AmazonでもAppleでもテスラでも何でもいいが)などの大企業と比べればちっぽけだ」と思っておけばいい。
なぜか知らないが自分は良くも悪くもすごい極端なものの比較してしまうくせがあり、ある種の現実逃避であるが精神衛生上とても良いので…これはおすすめできるのでは?とふと思った。自分よりもすごいものが不幸なものがいるから自分はまだまだマシだ…これも極端ではないが同じように比較軸をずらしてしまうことだが、それで精神衛生が保てるのならいいのではないだろうか。イソップ童話の「すっぱい葡萄」のきつねみたいになったら情けないし、現実逃避が過ぎてチャレンジ精神が失われるのは問題が、とりあってもしょうもないものは極大の何かと比較することで無効化できる。
リーダシップというか人を束ねることが向いていない、もしくはカリスマ性がないと思うことがある。逆に上手く言っている人をみると、だから自分はダメなやつだとネガティブなることがある。どうするか?、色々と方法はあるが、自分の場合はリーダシップがある人とかカリスマ性がある人だと思いこむことにしている。それでも失敗したらしょうがない。あ、極大比較思考の話から逸れているので話を戻すと…例えば、すごい社長とか芸能人みたいな人が登場して、そのオーラで気圧されそうになったとする。芸能人だったら「わぁーすごーぃ」て見とれていればいいが、ギラギラのオーラある社長と相対して、対等に話をしないといけないしたらどうするか?「この人は釈迦やイエスほどのカリスマ性はないだろう」自分にとって一番最強のカリスマ性ある人と比較して”たいしたことない”と心のなかで言っておけばいい。
顔にコンプレックスが無くても、美しい目鼻が整ったキラキラした背の高い美男美女がいたら逃げたくなるが、この人達だって、「あの有名な女優や俳優と比べれば大したことがない」と思っておけばいい。
頭がいい人と話をしていて自分の愚かしさに嫌になったら、目の前の相手よりも明らかにIQが高いひとを思い浮かべばいい(自分にとってこの人は本当に頭がいい人だったなという人がいるはず)。頭がいい人にバカにされたら、その人より頭がいい人格者を思い浮かべて、その人の方が格上だなとか思っておけばいい。これは評価軸をずらしているだけだが、精神衛生が保てる。
…こういう考えはいわゆるズルい人なのかもしれないが、上手く使うことでだいぶ自分は損もしたような気もするけど、得をしている部分もあるような気がしています。損得の分別がつくのならば、得をしているときだけ、この思考を使えばよい。どうも自分のちっぽけさが嫌になる時などい気持ちを入れ替えるのには、極大と言える比較対象と眼の前のものを見比べると気持ちが落ち着くので、ぜひ試してみてください。
以上。
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