家族制・家父長制より・民主制。
川柳です。意図せず、川柳になった感じですが。
みんなが同じ方向を向いている家もあると思いますが、家族の間でも政治の話をしない!と、決めている人や家庭も多くいるように思います。押し付け合いをして下手をしたら喧嘩になるからでしょうが、いい面で言えば政治的な信条と家族間の絆は別物として扱おうという気持ちが暗黙の了解(もしくは、話し合いを通して生まれた明示的なルール)になっていると言えるのだろうか。でもそうして家庭内で話し合うことを通して良くも悪くもお互いの立場や歴史性を理解するに至るのではなかったか?と思わなくもない。そういう意味では、現在の世相とか政治とかを、ああでもないこうでもないと家族間で話すこと自体はいい気がする。もちろん、お互いの考えを尊重するという意味においてですが。いい意があれば悪い意味が浮き彫りになるところもあって、大変難しいところですが。結局無難に今までの人間関係が続いていく方がいいを選んでいるとも言えるかも。いい感じに言っていますが「逃げているだけ」と言われればそれまでなやつかもね。いずれにしてもウチは「家族制<民主制」なわけで、それはそれで家族のカタチと割り切る。しかし、家族内はそれでよくても家族外それが当たり前になっている家族が増えると、家族で連帯している人たちには勝てないということになる。すなわち、核家族化した個人は統一的な家族の連合体に敗北する。…みたいなことを数理的な根拠で表せるのではないか?
そんなことはどうでもいいけど、Twitterを見ていると目立つ人が決まっている。自民党系だとえりアルフィヤと岸信千代。(国家にとってどうでもよくないかもしれないが)私自身にとってどうでもいいのに、このひとたちの批判ばかりが目につく。一緒になって怒ってもいいのだが、怒ったところで変わらないなら、僕は僕の戦いをしようというところに落ち着く。自民と反自民の対立項で捉えれば民主主義が機能するためには確率的に反自民的な立場であるほうが望ましい。しかし、面白いからといって「どういうことなんだろう?」と、その意味を調べれば調べるほどドツボにはまる。2015年に東京都渋谷区で起きたトルコ人とクルド人の暴力的な対立とでも映像が流れる。移民を受け入れるとこのような欧州で見られるような出来事が、日本でも起こるようになるということを恐れた意識をもった人が増えてきた証拠だろう。これも是非が難しい。いずれにしても、Twitterって、そういう洗脳メディアになっちゃあいけないんじゃないか。というわけで、どうにか距離をとるための仕組みが欲しくなる。客観性を保つ自分とちょうどいい距離を保つというのは、家族であるにせよインターネットであるにせよ、結構むずかしい時代なんじゃないか。テクノロジーが自分にとって近くなりすぎている。いや、テクノロジーの発展が進むのは大いに結構だけど、人間の思想形成に多大な影響を与えることにもう少し思慮深くならないといけない気がしている。
日本政府はChatGPTを提供するOpenAI社へのデータ提供に関してはゆるい立場をとっている。OpenAI CEOアルトマン氏が日本政府向けに作成した貴重な資料が公開…。日本の法律がゆるいというかザルなのをいいことに日本市場を狙ってきているだけだ。「GPT-4より強力なAIの開発を直ちに停止せよ」──公開書簡にマスク氏やウォズニアック氏が署名…。各国の政治家や企業家が警鐘を鳴らしているにもかかわらず(まあその裏ではAIの研究をごりごり進めているのだが)この結果、日本においてAIがどのように産業を変わっていくのか?正確にとらえられている人がいるのだろうか?止められない変化の波に人類が合わせていかないといけない時代に突入するといっても、その先鋒を日本国が担う理由の是非について、もう少し真剣に日本人は考えた方がいいのではないだろうか。
私はどこかで書いたのだが、AIが自然言語の分野で日本語を人間レベルで扱える技術は2030年ごろに完成して実用化されていき、2040年頃に概ね切り替わっていくのではないか?と、技術的特異点(シンギュラリティ)のよくあるグラフを元にして予想を立てたが、まったく間違っていた。人間レベルで扱えるのはChatGPT4で十分に完成したと評価できるし、2030年になる前に今とは違って浸透し始めたと言い切れるので私の予想よりも15年も早まった。私たちがテクノロジーに対して固有な自己を捨てて、選択を迫られる時代にもうなってしまった。だいぶ人生の計画が早送りさせられた気がする。
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